お土産に饅頭を持ってくる優しさ、それだけでは介護はできません。
食べればうんこが出ます。うんこまで面倒を見ること、それが介護です。 人間生きていれば様々に排泄されている、ふけ、抜け毛、目やに、耳糞、鼻くそ、タン、汗、そういうものが出るのが生きている証なのですから。介護とは命を共有してしまうことです。命がけでなくては勤まりません。 でも自分には自分の人生がある。そして介護される人生は介護される人のものということ。介護し、されたことによってどちらもなくなるものではありません。 羽成幸子さん(現59歳)は19歳の時から5人の身内の介護と看取りをしてきた人です。 実母と姑を同時に介護していた時もあり、死期の近くなっている実母に、「もし同じ時期だったら私は姑の面倒を見なくてはいけないから許してね」と言ったといいます。 羽成家の長男とお見合いのとき、「俺は母が嫌いだ、一緒にも暮さん」という言葉をきいて結婚を決めたということでした。 「マザコンじゃあたまんないもんね」です。 気丈で一人暮らしを通していた姑を訪れたある時、生活のリズムが崩れていると直感して着の身着のまま彼女を無理やり実家に連れてきてしまいました。姑きくさんの介護をするきっかけです。 そのわがままな姑との葛藤を通して羽成さんは介護道を確立していきます。 死を念頭に置いた生き方 人生40歳までは目的に向って頑張ればいいのよ、でも50歳を越えたら先に死を想定しておくべきね、みんな今の続きで誰の世話にもならずにぽっくり死ねる、誰にも迷惑などかけないさ、と思っているようですが、そんなはずはありません。 それは頭も体も動く、人生の80%90%までのこと、最後の最後は自分の思い通りに行かない体を人に任せ、それでも死ねない時間が待っています。 食べれば生き、生きていれば汚物が出る。人生の最終は糞尿を人に任せることになるということ、言い換えれば介護とは人の排泄を引き受けることに尽きます。 本気の介護 きくさんを家に連れてきて最初にやったことは、彼女の住んでいた環境に似た設定です。 狭い家の、一部屋を提供して、テレビとコタツを用意、そこに住んでもらうことにしました。 もうどのくらい風呂に入っていなかったのでしょうか、足の裏は垢が石膏のように固まり、最初の仕事は足を湯につけて、垢をふやかし取ることでした。 きくさんは動くこと大嫌いです。 なんとか体を動かしてもらいたいと食事の場所を離れた場所にして、「おばあちゃんご飯だから来て」などと動いてもらいます。 ある日お茶を入れてきくさんの部屋に持っていくとコタツの上に濡れたティシュの団子がのっています? 動くのが嫌いなきくさん頭いい、トイレに行くのが面倒なものだから座ったままティシュのかたまりをお尻に敷いています。 「駄目よそんなことしてては、黴菌が入って病気になるよ」 「病気になんかなるもんか」、 でもすぐに尿道炎で入院しました。 病室が大部屋に移ったきくさんを病院に訪ねると、同部屋の人が「あんたのお母さん?」 「いいえ姑です」 「凄い人だね・・・介護していくの?・・大変だねえ」と同情されたりして、病院でほんの数日でもわがままを通していたのでしょう。 ある日帰宅するとうんこの匂いが部屋に充満しています。 どこだどこだで探し回ると、トイレから部屋までの壁伝いにうんこがついています。 なんじゃこれは?とどうやってトイレに行き、帰ってきたかやってもらうと・・・ きくさんはなんでももったいないもったいないで、お尻を拭く紙も5センチくらい、そんなに少しじゃあほとんど指で拭いてしまいます。 手も水道を細くして指先をチョロチョロと、それで壁を伝いながら歩きます。 「もっと紙をたくさん使って、ちゃんと両手で洗って!」 「紙も水ももったいないから」 「もったいなくない、壁拭く水や、雑巾のほうが高いのだから」 「それはそうだ・・・」 うんこの管理が一番大変です。 「うんこ出た?」 「そんなもん1週間に1回で充分だ」 体調の管理は排泄からです。出ても出なくても朝9時にトイレに座ってもらうことにしました。 またまたうんこくさい日があってどうしたか検証するとうんこが流れなかったから手で掻いて落としたようです。 和式の習慣の長いきくさんは便座に逆に座っていたのです。そうすると水の流れない上の方に排泄してしまい、それを綺麗にしようと努力していたのです。 何度も練習して身に付けてもらいました。 よくこういう常態を痴呆が始まったといいますが、ボケなんかじゃあありません。昔の習慣から抜け出すことは大変なことなのです。 まだまだちゃんとしっかり判断できる個性豊かな人間です。 利用できるものなら他人でも、その人に出来ることは任せて 人の人生まで背負っていては重荷です。自分の人生も楽しむ算段をしなておかなくてはくては気が狂ってしまいます。それでも心に悪魔の宿る時、悪魔も発散させてあげなくちゃあ、聖人君主じゃありません。「糞婆糞婆死じまえ」と独り言いったっていいじゃない。貯めといたら本当に殺しちゃう。 ショートステイが年間40日使えるのよね、おばあちゃんはそこを会社とよんでて、今日は出勤の日だと喜んで行ってくれ、帰るとただいまです。 ある日きくさんが部屋で転んで骨を折ってしまいそれからは寝たきりになってしまいました。 あんまり動かんかったからと反省しきりのきくさんです。 「おばあちゃん。おばあちゃんはおばあちゃんでいていいから、動かないおばあちゃんの体は、私が面倒見るからね」 便秘がひどくて、浣腸のお世話にはよくなりましたが、ある時浣腸をするとすぐドバッと噴出、もろに顔面に直撃を受けました。 「おばあちゃん出たよ!よかったねえ」そう言えた私を凄いと思いました。 私はつらいことには自分でご褒美をつけました。うんこが出た日は映画を見に行くです。 きくさんには4人の息子がいるのですが、私が引き受けたのでこれ幸いと誰も手出しをしません。 ある日「緊急要請一日のおむつ代300円なりの協力を」という手紙を皆に出しました。お金が欲しいというより一人で全部を背負っているという気持ちから解放されたい、直接介護することだけが介護ではないと考えたからです。 そうしたら15万円も送ってきた人がいて、旅行に行っちゃった。 寝たきりになったとき、「介護される介護教室」という看板を出しました。テレビで取り上げられ、どうやって介護しているのと大勢見学に来ます。 人嫌いだったきくさんも、みんなに先生先生といわれてる間に、すっかりその気になって、「今日は何人生徒が来るんだい?」などというようになりました。 本当に人には死んでいくまで役割あるのよね。 足に血が通わなくなって紫色に、そして死臭が漂い始め、それでもなかなか死にはしません。 昔、カラスが屋根にとまると人が死ぬと言っていましたが、昔の家ならそうだったのでしょう、きくさんの亡くなる頃のことを言うとあんた変な臭いがしていたと友達に言われます。 風呂に入りたいというのですが風呂は無理なので、盥を布団の上に置き湯をはって足、下を洗ってらあげます。 骨にかさかさな皮膚がこびりついたよな足を盥に入れると、キラキラ鱗のような皮膚が湯面を覆います。 水気を拭いて布団をかけると「ああ気持ち良かった、フーと大きな息を吐いて・・・」それが最後でした。
by takaryuu_spring
| 2007-03-31 18:09
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