脳卒中体験記3

処置室
それにいったいここは何という部屋だ、まるで倉庫だ。点滴のハンガーや、酸素ボンベ、わけのわからない器材が、雑然と置いてある中に、使いものにならない器材のように、置かれていました。急患で運び込まれた僕は処置室にいたのです。
ナース・センターの横、看護婦さん達が忙しそうに出入りするなか、僕の心電図の音がピッ・ピッ・ピッ・と鳴っているのが聞えます。僕は使えなくなった道具のように倉庫みたいな処置室に忘れさられてしまいました。
胸には心電図のコード、左手に点滴のチューブ、そして尿道に管を通して尿袋が装着してあります。
時々点滴や尿袋を見に来てはくれますが、どの看護婦さんもなにも話してもくれず、恐いおばさんのように思われました。
土嚢のよになった体は、自分で寝返りをうつこともできません。
左肩は、だら~んと布団に落ちてしまい、左足は左にたおれ、指が上を向くことはもう決してないように思われます。目の焦点も合わず、見るものはスリガラスを通して見る景色みたいにぼやけています。
「でも生きているのだよなあ」と思った時、今おかれている自分の立場が急に思い浮かびます。
「どうすりゃいいんだ。こんな体じゃあ仕事はできそうにないし、トラックや機械の支払いはいっぱい残っているし、それに保険も全く入っていない」ぼんやりかすんだ頭で考えても何の答えの出るわけではありません。いやさえわった頭で考えても同じなのですが。

見守る妻は「自分の体のことだけ考えて!」あとは私がなんとかするから、と言ってくれるのですが、一人娘の朋子は来年中学入学なのです。
名案もなにも全くどんな可能性もないように思え、無責任ですが考えることを止めにしてしまいました。
「本当に粗大ゴミだなあ」と苦笑するだけです。
12日が土曜だったので土・日と病院の業務も少なめ、僕の治療も月曜日からということのようでした。
14日月曜日、今までの治療に高酸素治療が加わりました。
 これは潜水病の治療に使われるものみたいに思っていましたが、流れの悪い血液でたくさんの酸素を送るためにはよい方法なのだそうです。
僕のベッドは移動できるようになっていて、それで一日一回この処置室を出ることができるようになりました。
 暗い処置室を出るとすぐに空の見える通路、どんより曇った冬の空でしたが、薄暗い処置室から出て初めて見る空の明かり、その空を見て涙が出てきて「ああ・生きているんだなあ」と思はれました。
それからは処置室と高酸素治療室への行き帰りが多少人らしく、生きていると実感できるただ一つの楽しみになりました。
12月16日病室が空いたのでそちらに移ってください、ということになりました。
[PR]
by takaryuu_spring | 2007-01-30 21:53


<< 脳卒中体験記・・4 脳梗塞体験記・・2 >>