昔、僕の子どもの頃は、クラスに一人二人は喋るとき「たったった・・」などとドモる人がいたものですし、発言を求められると顔を真っ赤にして何も言えない人がいました。
また、国会の答弁を聞くと、「え~、うん~・・・」と話のほとんどが意味のない音だったり、野球の解説者でも、「なんと申しましょうか・・・」とよく言う人がいたりしました。 普通に使っている日本語は話し言葉ではではなく、話を聞く方が相手を理解しながら会話が成り立つという、話す人と聞く人が対等な立場で会話が成り立つ言葉であるため、不特定多数の人に話をすることは、話すことの専門家でも原稿がなくては上手く話せなかったのだと思います。 解説で、立て板に水の解説の元祖は、古館一郎しでしょう。 彼は日ごろから、見てすぐ口に出るように訓練していたそうで、それで瞬時に言葉を出せるようになったといいます。 今ではほとんどの人が、本当に口から先に生まれた人ばかりになっていて、話の下手な人は「はっきり言わなくてはわからないがね」などとおこられたりします。 昔は口下手な人の方が多くて、目は口ほどに物を言うとか、阿吽の呼吸とか、口から出ない言葉が結構通用していました。 この喋らないで通じる言葉こそ日本の誇る言語だと思います。 英語など、口から泡をふいて喋り捲り、それでも伝えられなくて、大げさなゼスチャーが必要なのです。日本人でも最近やたら無意味に身体を動かしながら話をする人がいますが、何のために動いている手分からないと、話の内容も薄れてしまいます。 日本語に必用なのはゼスチャーではなく、言葉も動きもない「間」なのです。 日本画は西洋の絵画に比べ何も描いてないところが多いし、生け花でも空間を意識して生けます。話を文字にした本にしたものでも、縦書きの本には空白が実に多い。 日本の文化は「何もない」ということの意味を知っている文化だと思います。この「間」を理解できない人のことを 「まぬけ者」 というほどですから、これは確かです。
by takaryuu_spring
| 2007-01-20 05:17
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