美的に存在したい

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霙の降りそうな寒い日でした。勝手な桜が2.3輪咲いていました。これでは美的ではなく痩せ我慢でしょう。
脳のところで出てきた忙しさと孤立感が重なった時罹る総合失調症は一人でいても頭の中に自分の悪口をいう他人を作ってしまう病気だ。人の欲が他人を意識した優越感であり、それが近くにあるのに満たされない時に一人でいたときより強い疎外感を感じ総合失調症は発病として表面に出てくるのだろう。おなじことのように思うが、いじめの中で一番堪えられないのが無視されることだそうで、人の内面にある欲望の大きさが分かるが、なぜそんな欲望が備わっているのか?
欲望というものは、生きるために必要だから付加されているものだと思う。食べることは美味しいし満腹感も味わえる。排便排尿などあまり好ましくないことでもそこには喜びが付加されているではないか。セックスなど1人で叶わぬことは恋するなどという他の筋書きまでつけられて神は用意した。全ての動物にいえるかどうかは疑問だが、少なくとも人は群れなくては生きていけない存在なのだろう。それなのにお釈迦様は「天上天下唯我独尊」といわれた。お釈迦様だからではなく、人の存在はおのおの唯我独尊だといわれたのだと僕は思う。
無視が一番きつい苛めだと思う。全ての人が唯我独尊なら、我が無視されない方法は他人を認めることのほかないことになる。「認められること」つまり他人の中にしか我は存在し得ないのだ。自分があるのではなく他人がいるから我もいられる。きっと全ての存在がそういう関係の中での存在でしかないのだろう。
ただこれでは美的ではない。僕は美的に美しく存在していたいではないか。
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by takaryuu_spring | 2006-12-04 03:41


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