鞄一つ持って着いた先は街の中心地、ホテルの前にあるアパートが居住地になりました。割烹本丸は上にあるビジネスホテルの朝食も受け持っていて、ですから調理師は朝6時から働いています。朝食タイムの9時が過ぎると一時閉店して今度は街の人のための昼食の準備、昼が過ぎると店は暇になりますが、今度は夕食の準備です。ホテルには宴会のできる大広間もあって、ライオンズクラブなどの宴会も月に1・2度入ってそれが一番大きな収入元になっていたようです。
部長といわれる人、その下が主任、板前歴4年の腕の良い職人と、6年の天ぷら職人そして1年半の17歳の少年は洗い場でした。僕が入れば僕が洗い場、彼は包丁を持つ事ができるようになります。 調理人で一番偉そうなのは和食の職人です。前のラセーヌのコック長が6万円の給料だったとき本丸の部長は16万円、大学卒の初任給が3万円なかった時のことですから、大した高給取りでした。でも部長は仕事など何もしません。朝仕入れに行って、店に顔を出して主任に指示を出し、自分はパチンコ屋に行ってしまいます。お昼に昼食を食べに又来てまたおでかけ、後は電話がくるくらい、仕事は主任が、そして実際に一番働くのは4年川俣さんでした。和食の職人は天ぷら職人を、そして中華や寿司職人など一年も修行すればできると言って馬鹿にしていました。 ふんふんと聞いていましたが、部長に「どうだ」と聞かれて、「ここの料理はあんまり美味しくないといいました。理由は野菜の味もしないし、味もうすいからだというと、「そうだな」と別に怒られも反論もされませんでした。 この店で仕入れる物はいいものばかり、野菜ならその皮を厚くむいて、あくをよく抜いてから使います。そんなものを食べた事のない舌には何を食べても物足りなく感じたのでした。僕が不味いといったため反対に信用されて、それ以来僕に味見をさせます。入って2ヶ月たったとき、お前は洗い物をしなくていい、と言われ、「いいです、僕が一番の新米だからやらせてください」と言うのを、17歳の子も、「僕の方が若いから僕が洗います」といい、どっちでもいいかということでおさまりました。 寮では川俣さんと17歳の前田君と僕が一緒に暮らしまた。川俣さんは調理師試験の勉強をしています、去年落ちて再挑戦、腕がいくらよくても筆記試験では通用しないのです。 部長・主任・天ぷら屋の新谷さんの三人は結婚していました。調理場も天ぷらは店から揚げているところが見えるように別のコーナーになっていて、僕はよく見ていました。 衣で温度を計り、いいと海老の尾を持って向こうに静かに入れます。しばらくすると浮いてきますがその時、指に衣をためて海老の腹に垂らします。すると海老に足が生えたようになるのですが、そのすぐ後にもう一度衣をつけて指をはじきます。天かすが花火のようにぱっと広がり、その時同時に足の部分に卵のようにあげだまが付着するのです。 棒状に揚げるのと、花が咲いたように揚げる方法があるそうなのですが、この方が難しい揚げ方です。というのは衣に油が沁みこんでしまうと重い天ぷらになってしまうからで、やらせてもらいましたが全く上手く行きませんでした。
by takaryuu_spring
| 2006-10-06 23:16
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