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犬最終回

犬は透けて下の見える所は恐がるものです、下を水が流れている丸木橋や足元のすけて見える階段など大の苦手です。ゴロ-も苦手でしたが強要すればへっぴり腰でですがなんとかどんな所にでもついって来ました。
そんなゴロ-が弱虫の臆病者になってしまいました、それはこんなことがきっかけでした。
食いしん坊のゴロ-は腹いっぱい餌を食べます、その日もきっと沢山食べたのでしょう。ある日、庭に大盛りのうんこをしたのです。僕はどの犬にも庭で用便をすることを固く禁じていましたから、今迄の犬もほとんどそんな行儀の悪いことをしたことがありませんでした。それにゴロ-の犬小屋はぐるっと回ればすぐ外に出られるのです。それなのに庭に大盛りのうんちを犬小屋の前にしたのです。これは許しておけないことでした。
僕は近くにあった棒でゴロ-を殴りました何度も何度も、ゴロ-は悪いと思ってか黙って耐えていました、それなのに殴り続けました、そのうちに、痛くなったのでしょう、ゴロ-の顔は恐怖と嫌悪で歪みました。そしてとうとう歯をむいて[ウ~]とうなったのです。僕はよけい腹が立ち、それでよけい殴り続けました。何故そんなに殴ったのか自分でも理解できません。「妻のもう止めたら」と言うのを聞くまで殴り続けたのです。
それからです。ゴロ-の弱く尻尾をすぐにたれてしまうようになったのは、一度もってしまった恐怖心と僕への不信の情はもう拭うことの出来ないものになってしまいました。
家の集落の出口に犬がおりまして、それはゴロ-より少し大きかったのですがその犬が放されていて僕がゴロ-を鎖でつないで散歩をしていた時、その犬が襲いかかってきました。
今迄の自信のあるゴロ-なら負けるはずなどなかったのにあっけなく負け、相手に組み伏せられた情けない姿に、僕は助けようと必死に犬を分け相手の犬を思いっきり蹴飛ばしました。ゴロ-は泣きながら自分の家の小屋に逃げ帰ったのでした。
これは信じられないことでした。昔中学一年の時父がムクを殴った時のことを思い出しました。あの時ムクに恐怖と嫌悪の情の出る寸前で殴るのを止したこと、それが安心と絶対服従の心を生み出したのに、僕はゴローに恐怖心と今迄一番信頼していた僕に対する不信感を持たせてしまったのです。それは彼の生涯拭い去ることの出来ないものとなってしまいました。
四歳になった時彼には災難なことに、日進町から名古屋の本山に引っ越すことになりまして、そこは空だけが見える小さな庭、散歩に放されることのないごみごみした町並みのある所で、散歩の時間もほんの十分ばかり、後は蚊にくわれながらの独房みたいな所で過ごすことになりました。
ここでのことは本当に犬には最低な条件でした、フィラリヤの注射を打ったのはいいですが少し強すぎて体調を崩しました。
幸い二年ちょっとでこんどは引き山に引っ越しここは香流川が近くにあり散歩に少し時間をかけました。誰もいない早朝には鎖からも放してやり遠くにボ-ルを投げるということは出来ませんでしたが、川のなかにはよく石を投げ入れそれをとってこさせました。フィラリヤの注射の後遺症で抜け毛がひどく毎日ごっそり抜けました。
仕事の関係で、ここでは早朝の散歩だけしかしてやれなかったのです。ここにきて四年目の六月僕は仕事中に怪我をして指を四本落としてしまいました。病院から家に帰って来ていた日、ゴロ-は突然キュウ~ンと啼いて死んでしまいました。もっと大きな事故で命を落とすところを、代わりにゴロ-が死んでしまったような気がしたものです。
ゴロ-も、マ-ジン・エリ・と同じように僕の心に悔いの残る犬でした。

家の一人娘の朋子が五年になった時、白い子犬をもらってきてそれはその通りシロという名前にしました、朋子に散歩を義務ずけたのですがそれはほんの子犬の可愛い時だけしかやってはくれず、結局また僕が散歩をすることになりました、僕のようにはだれも早起き出来ません、早く起きないと時間的に散歩は無理なのです。
児犬の時から裏の駐車場でボ-ル遊び、香流川では鎖を外し散歩をしてやりましたが、それほど満足のいくものではなかったのですがこんどは決してひどく叱ることはありませんでした。
のびのびと明るい犬に育ち、僕が脳梗塞で散歩が出来なくなった時、人にもらってもらいましたが、素直で言うことをよくきくお茶目な犬ねと気にいられました。
これが僕の飼った犬達のお話です。
終わり
by takaryuu_spring | 2006-09-16 21:44


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