「あんたんところの犬?さっきからいるけどどこの犬かと思った」と店主が言うのです。
家を出る前からもう僕がパン屋に来ることが分かっていたに違い有りません。 梅雨が過ぎるとあんなに酷かった皮膚病はすっかり良くなり、毛もふさふさと生えそろい、なんか一段と赤くつやつやした犬になりました。 ムクの散歩についてきますが、鎖は付けてありませんから、つかず離れずそこらじゅうを探索しながらついてきます。 猫を追い掛けるのはどの犬でも大好きなことのようですが、野良は徹底的でした。逃げ回る猫を人の家の中、市場の人込みの間と追い掛け、逃げ登った柿の木にまで登って行ってしまいます。 猫はちゃんと飛び降りられたのですが、犬の野良は登ったところで戻れなくなって、それをみんなが見て大笑いです。 一度などは、市場の隅に猫を追い込みました。野良はただの遊びのつもりですから、それ以上どうするつもりもなかったのですが、追い詰められた猫は必死です。背中を丸めフーと威嚇していましたが、その様子がまた野良にはおもしろかったとみえて手を出したのです。すると真剣な猫は野良の背中にぴょんと飛び乗りその背中にしがみ付いて爪を立てたものものですからたまりません。びっくりして猫を振り落とそうとしますが、そうするとよけいしっかり背中にしがみ付くようで、野良はとうとう尻尾を巻いて悲鳴をあげてしまいました。 あちらこちらにぶつかりながら逃げ惑いふらふらになって、やっと猫から解放され、みんなの大笑いの中を尻尾を巻いたまますごすご戻って来ました。 名城公園の手前の広い通りで車にはねられたこともありました。ぴょこぴょこ不用意に歩いておりますと、そこに車が来て野良を跳ねたのです。きゃんといって五・六メートル跳ねとばされ、車はそのまま行き過ぎて行ってしまいました。倒れていましたから、死でしまったのではないかと走り寄ると見ますと、何でもなかったという顔をしてひょっと立ち上がり歩きだしたのにほっとしたこともありました。 いよいよ家の犬らしくなった時、家に来る知らない人には相変わらず激しく吠えましたが、あまり家の外で吠えることはありませんでした。 それがどうも外で吠えているようなので見に行きますと、なんと(犬捕)と呼ばれて恐れられていた保健所の人が野良犬狩りに来ていたのです。 飼い犬は狂犬病の注射を打って鑑札をもらい、それを首輪に付けておくことになっていたのですが、野良は注射どころか首輪もつけていませんでしたから、急いで飛び出し野良を呼び戻そうとしたのですが、犬にとって最大の不審者、彼らの敵からは異様な殺気でも出ているのでしょう、普通の犬は一目散に逃げ出すのでしたが、恐いもの知らずというかうちの前の不審者を赦せないのか、野良はその恐ろしい犬捕に猛然と吠えかかって行ったのです。 「だめ !」という悲鳴にも似た我々の声にもかかわらず、その足元に吠えついた野良は「きゃ~ん」という悲鳴をあげて犬捕の吊り輪のなかにぶらさがっていました。 足をばたばたさせてももう声を出すこともでません。 「堪忍して下さい、その犬、家のなんです」と言いましても、首輪も付けずに飼うなんてもってのほかだ、それに鑑札は持っているのか、と言われ、それもないのですから、どんなに懇願しても許してもらえません。 「もし返して欲しければ中川区に収容所があるからそこに引取にくるように、一週間だけここで収容しているが、その期間中にこない場合には処分されるからそのつもりで」と念をおされました。 その日の夜沈痛な面持ちで家族会議が開かれました。「もともと家の犬ではなく、何度も捨てようとしていたのだからちょうどいなくなっていいではないか、かわいそうだけれどそれも運命とあきらめよう」というのが父の本心ではないにしろ意見でした、母も同じです。 こういう時子供は経済向きのことには無頓着ですから、「そんなかわいそうなことは出来ない、絶対に殺されてしまうと解っているんだよ、僕たちご飯少なくても良いから野良を助けてやりたい」と大反対です。 それを両親達も期待していたのだと思いますがこれで決まりました、翌日早速、僕と母とで引取に行くことにしました。 家から栄町・中川保健所とバスを乗り継ぎます。車には滅法弱い僕でしたが長いバスも、この時は不思議に酔いませんでした。 バスを下りて田圃の中の道を少し歩くと、アウシュビッツよろしく犬の収容所があります、金網の張ってある扉を開けると一斉に犬の視線が我々にそそがれ、みんな情けない声で一斉に啼きます。 一つのケージに三・四匹づつ入れられていますが喧嘩をしようなどという余裕はみんなにありません、その前を捜して覗き込むと哀願するような哀れな声をだして前にすりよってくるのです。 どの犬もここがどんな所で、この先にどんなことが待ち受けているのか、察知しているように思えました。 でも前ににじり出てきた犬のなかに野良はいません、野良、野良と呼んでもなんの反応もないのです。 「まさかあんまりやかましいので先に処分されたのではないよな」などと不吉な思いが頭をよぎります。 もう一度最初からケージの隅からし隅まで見て廻りました、その結果憔悴しきった野良がケージの中にいたのです、みんな前に出てくるものですからその影になって見落としていたのです。よほど恐かったと見えて放心状態で顔が合ってもよだれを出しながら荒くハアハアいっていうだけです。 手続きをとって釈放されましたが、まだ目は虚ろ、買って持ってきた茶色の首輪・それに鎖を付けて連れ出しましたが、後も見ずにただ一刻も早くこの場を立ち去りたいと思っているのでしょう、その鎖を思いっきり引きます。 バス通りまで出るとすぐにタクシーが拾え、それに乗って帰ってきたのですが、その間「ハアハア」言って、よだれをたらしっぱなしで、まるで野良らしくはありませんでした。
by takaryuu_spring
| 2006-09-11 20:56
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