仏はどこにいる

僕の両親は、無宗教であることを誇りに思っているようで、90歳に近くなった今では早く迎えに来てくれることばかりを願っている。
そんな手紙を読もらうと情けなく哀れになって、「そんなに生きていることが面倒なら、息をしなければ良いじゃないか」という返事を書いてしまいます。

人の世話になることが嫌いで、老人二人で丘の上に住んでいるのに近所の人の世話も行政の支援も受けず、神様や仏様などいるわけがない、死んでも葬式をだしてくれなくてもいい、そしていつの間にか墓地を買っていて、その理由は、「だれもごみには出せんだろうからだ。」といいます。

僕も似たようなもので、外に神様や仏様がいるとは思ってはいなく、でも仏は確かにいると信じています。

小学生のころのことです、おかずに金時豆がめいめい分小皿に盛られていて、自分の分を運ぶとき床にひっくり返して、あわてて皿に戻して、こぼさなかった皿とすり替えて食べたことがありました。見ていたのは自分の心なのですが60年近く経った今でも心に刺さったまま鮮明に残っています。鼠を殺したときのこと、酔って看板を壊したときのこと、ごみをそっと隠したこと、店員が出てこなかったのでチーズを失敬したこと・・、厭なことは忘れるものだと聞いているのですが、鈎のついた針のように取れずにいる棘があるものです。

NHK深夜便ではしばしば中村元さんのお話が出てくるのですが、凄い人ですねえ。

中村元 (哲学者) - Wikipediaで調べてみると。

中村が20年かけ1人で執筆していた『佛教語大辞典』(東京書籍)が完成間近になったとき、編集者が原稿を紛失してしまった。中村は「怒ったら原稿が見付かるわけでもないでしょう」と怒りもせず、翌日から再び最初から書き直し、8年かけて完結させ、1・2巻別巻で刊行。完成版は4万5000項目の大辞典であり、改訂版である『広説佛教語大辞典』では更に8000項目が追加され没後全4巻が刊行した。校正や索引作成に協力した者がいるとは言え、基本的に1人で執筆した文献としては膨大なものである。
いう記事があって、深夜便でそのときの関係者の話で聞いた話でもありました。

Youtubeの動画もありました。
http://www.youtube.com/watch?v=NWZtkxP3eGg&feature=related

釈迦の最後の教えは「自灯明法灯明」、どこにも頼りにすべき神仏などいなくて、「自分の心の中を見てごらん、その心を磨き、心の正しいと思うように生きなさい」ということでしょうか。
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by takaryuu_spring | 2010-05-04 16:48


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