東大寺などの柱は、ギリシャのエンタシス文明の影響だともいわれます。
日本には、メソポタミア、ギリシャ、インド、中国などシルクロードを通って当時の最先端の文化が運ばれてきました。 でも、日本にそれを受け止める受け皿があったからそれらの進んだ文明を吸収できたのだと思います。 文明開化といいますが、鎖国を解くとき、西洋文明に劣らない文明を持っていたから、知らない間に、いとも簡単に西欧に追いつき追い越していた日本です。 日本には、一神教の人には理解できるはずのない「よろずの神」がいます。 お寺にもたいてい守り神が祀られていて、豊川稲荷などお寺の方の影のほうが薄くなってしまっています。 大きなところは神様が受け持ち、人間的な部分は仏様が受け持つ。畠の神様がいて、鍬にも仏様がいるから大事にする。裁縫の神様がいて、一本の針にも仏性がある。 日本人の中には全てのことの前に、八百万の神がいるのです。 ですから、仏教が来ても、キリスト教が伝来しても、八百万の一員として反対されることなく受け入れられてしまいます。 宮脇昭さんの説によれば、『鎮守の森』とは、タブーな地、人間の手出しを拒むところのようです。 ですから、たいていの神社の木々は大きい。 鎮守の森に対し、寺の庭は、人間の自然に対する考えの表現の場です。 日本庭園の粋は石庭でしょうか。 木も花もないところに自然の営みを想像させる、人間だけにしか必要性のない空間です。 神社と寺の関係は、鎮守の森と石庭の違いだと僕は思います。 芥川の『タバコと悪魔』でしたか、日本に上陸し、張り切っていた悪魔が、日本の鐘の音を聞いて暖簾に手押し、頑張らなくなります。 それでも一神なら、それではナム阿弥陀仏、おかげさまがもったいなくありがたい。 それが、お蔭様の正体だと思うのです。
by takaryuu_spring
| 2010-03-22 23:16
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