おかげさま

日本人は、「おかげさま」という言葉をなにげなく使っているのですが、いったい何の陰なのでしょう。

最近、浄土真宗のページを見て、はじめてわかったことですが、真宗のお経の最初の部分に出てくる「南無不可思議光」という、日の光よりあまねく到達している光、すなわち阿弥陀仏の力をさしているのだと気づきました。

真宗も、非常に誤解されている宗教のようで、戦時中は国粋主義の片棒を担がされたことさえあって、現在寺はもうかる葬儀屋業を専らとして寺本来の役割を果たそうという住職もまれな状態になっているようです。

真宗の入り口から見てみると、日本の仏教は仏教とはとても思えない教えのようです。

真宗では、死後も前世も輪廻も転生も関係なく、現在をどう捉えればいいのかということを問題にしているようです。

そこには不可思議光を放つ無量寿如来が出て来てきて、「全ての存在には、生も死も自も他もなく、ただ阿弥陀如来のうちにある。」と説きます。

阿弥陀仏から見て、人とは、阿弥陀の細胞の一つです。
そして自我とは自己主張の激しい癌細胞のようなものなのでしょうか?

人間の細胞にはそれぞれ役割があって、全ての細胞がその役目生き生きとと果たしているとき、人は、健康な状態で生きているのですが、細胞が自分勝手に動き出すと収拾がとれなくなってしまいます。

つまり人間でいうなら、人間らしく生き生きと生きることが阿弥陀の願いであり、それが人間の目的になるのでしょうか。


大乗とは、全ての人が乗れる弥陀という大船に任せること、弥陀の本願とは船に乗ればそれで悟りの国に連れて行きます。というアナウンスなのでしょう。

そして、南無阿弥陀仏いう心の起きるときとは、「着席しました。」という返事です。
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by takaryuu_spring | 2010-03-20 11:51


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