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正信偈4

即横超截五悪趣

人は悟りをひらくまで六道(天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄)を輪廻するといわれますよね。その六道から修羅を除いたのが五道で五悪も五道と同じことだそうです。

輪廻すると言っても死んで生まれかわるというような途方もない時間を要することではなく、ちょっとうまい具合に行くと有頂天になったり、反対に何もかもうまく行かないと絶望したりするのが人間ですが、即横超截五悪趣とは、そんな一喜一憂するような心のあり方はすぐに断ち切ること。

一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願

そして善人悪人凡夫を問わずすべての人々よ、阿弥陀仏の誓われた願いを聞き信じなさい。

仏言広大勝解者 是人名分陀利華

そのような人のことをお釈迦さまは「広大勝解の人」(広大なすぐれた法をよく領解した智慧の人)といわれ、まさに「分陀利華」(蓮の花)のようだといいました。
つまり泥にまみれた凡夫が自分は凡夫だと自覚したとき最も活き活き生きる術を獲られる。そんな人のことを白蓮華とか妙好人とも言います。

生きているのではなく、生かされてある自分を見るとき、周りのもの全てが有り難くなります。またしばしば有り難いという思いは神化され祀られます。鰻供養とか針供養とかなんでも供養しますが、供養するということは感謝するということです。

美味しいと思うとき、綺麗だと見えるとき、気持ちいいと感じるとき、いやだ、きらいだ、汚い、恐ろしい、などなど思うとき、その時対象がその人に認識された時です。そして「苦くても良く効く薬なら有り難い。」と思うように、人の見方はあてにならないものです。あってならないことは、何も感じない、有り難くもなんともないこと、それでは存在はあっても意味を持ちません。
生かされて存在する自分を自覚したとき、自分は相手に対してどんなふうに存在しているのかも見ることができ、正しいありかたが見えてくるのではないでしょうか。

弥陀仏本願念仏 邪見驕慢悪衆生 信楽受持甚以難

よく「念仏の他力の行は易行だ。」といいますが、本当に阿弥陀様にまかせきるということは並大抵のことではできないことだと思います。

弥陀仏本願念仏、

阿弥陀の本願を信じているつもりでも、

邪見驕慢悪衆生、

邪な心を持ち又堕落の心や自惚れの多い衆生には、どんなに頑張ってもどこかに[自分が正しい]という自力の心が働いてしまいます。

信楽受持甚以難

自分で生きているのではなく生かされている自分だと自覚して生きていることはとても難しいこと、

難中之難無過斯

難中の難といっても過言ではありません。
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by takaryuu_spring | 2011-11-27 09:38