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周利槃特

桔梗草
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1センチくらいの花ですが、桔梗によくにていますよね。

僕の作り話ですから、本気にしないでね。

お釈迦様の弟子にも周利槃特というあほうがいて、何をやらせても失敗ばかり。力仕事なら任せられるかもと、兄弟子が、「風呂に水を入れて、薪を割って、沸かしておけ。」と言いつけました。
たくさんのことを言われても覚えられない槃特は、風呂に水をはりましたが薪を割らずにくべたので薪は燃えずお風呂を沸かすことはできませんでした。
またあるときは、「今日はのっぺじるを作るから、ごぼうとサトイモと大根とにんじんを買って来い。」と頼まれたのですが、町に行くと何を買ってくるようにたのまれたのかすっかり忘れてしまっていました。

ネットの解釈
そして釈迦は周利槃特に一本の箒(ほうき)を与え、あらた改めてつぎの一句を教えました。
「塵を払い、垢を除かん」
それからというもの、周利槃特は多くのお坊さんのはきもののチリを払い、箒で各所を掃除しつつ、一心にこの旬の意味を考え、唱えました。
「塵を払い、垢を除かん」
やがて人々から“愚者の周利槃特”と言われる代わりに、“箒の周利槃特”とあだ名されるようになりました。
 こうして何か月かたち、何年かすぎ、何十年という歳月が流れました。周利槃特は自分の心の塵、心の垢をすっかり除くことができ、ついに阿羅漢(聖者の位)とまでなったのです。
 ある日、釈迦は、大衆を前にしてこう言いました。
「悟りを開くということはたくさん覚えることでは決してない。たとえわずかなことでも、徹底しさえすればそれでよいのである。見よ。周利槃特は箒で掃除することに徹底して、ついに悟りを開いたではないか」


僕の話
失敗するたびに怒られ、槃特はもう自分でも嫌になってしまい、修行をあきらめようと思っているとき、それを見ていたお釈迦様は、「槃特よ、どんな仕事が好きなのだ。」と聞きました。
槃特は、「掃除ならあまり考えなくてもできるし、きれいになると気持ちいいし、掃除が好きです。」と言いました。
それで、お釈迦様は、箒を渡し、じゃあお前を掃除担当にするから頑張るようにと言いました。

毎日一生懸命掃除に励んでも、毎日塵が積もり、草が生えてきます。

それでも毎日毎日草を抜き、毎日箒で掃き、毎日雑巾で拭いて掃除をします。

そのうちに塵が積もるように自分は掃き、草が生えるように草を抜き、息をしているのも掃除をしているのも同じ自分なのだなあと気づく槃特でした。


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by takaryuu_spring | 2010-05-26 21:23

和顔

仏教では、布施をすることが大事だといいますが、僕には、名も財も知力も体力も、なにも持ち合わせていません。

「無財の七施」
1.眼施(げんせ/がんせ)
優しい温かいまなざしで人に接する。
2.和顔施(わげんせ/わがんせ)
優しいほほ笑みをもって人に接する。
3.言辞施(ごんじせ)
優しい言葉をかける。
4.身施(しんせ)
肉体を使って人のため社会のために働く。
5.心施(しんせ)
心から共に喜び共に悲しみ、感謝する。
6.床座施(しょうざせ)
自分の座席や地位を譲る。
7.房舎施(ぼうしゃせ)
雨露をしのぐ場所などを分け与える。

なにもなくても雑宝蔵経には、「無財の七施」のというのがあるから安心しろといいますが、僕にはなにもないばかりではなく、欲張りで、嫉妬深く、疑い深く、自分勝手で、その上なまかわで、でも善悪を言い、全ての幸せを望んでいるようなことが頭の中にはあるのです。

何も持ち合わせのない僕にできそうなことは、眼施と和顔、それと言辞施でしょうか?

でも僕の心のとおりに目が物をいったら大変。恥ずかしくていきていけません。
なにしろ人の幸せを願っていることより、失敗を見つけて笑ったり、かわいそうに思ったりするだけなのですから。
※ かわいそうに思うことって、考えてみると本当は残酷な仕打ちだと思うのです。

口からでる言葉は、お世辞や皮肉やただのおしゃべりばかり、なかなか本心から思いやりのある優しい言葉など出てはきません。

・・・でも嘘でも和顔はできるかも。

よくあることですが、通勤途中僕を追い抜く人に杖をけられます。すると、ぐらっとして思わず怒りが顔に出てしまいます。

考えてみれば、僕の杖など混雑した中では見えないし、普通の人から見れば、ぐずぐず歩いている僕の方が悪い。相手のことを思えば謝るのは僕の方かもしれないのです。そう考えれば和顔になります。

人が普通で、僕がちがうのなら、たいていのことが、「どうも失礼。」ということになります。

悪気もなく「失礼。」と思うとき、少なくとも怒った顔ではありません。

先日地下鉄の駅で、ポケットから乗車券を出そうとしたき携帯も一緒に飛び出して床に落ちてしまいました。

一部始終を見ていたご婦人が、僕がかがんで拾うのを見て「ごめんなさい。」と言われ、僕はびっくり。

たぶん「拾ってあげなくてごめんなさいね。」ということだったと思うのですが、ときどきそんな人に会うことがあります。
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by takaryuu_spring | 2010-05-19 21:33

仏はどこにいる

僕の両親は、無宗教であることを誇りに思っているようで、90歳に近くなった今では早く迎えに来てくれることばかりを願っている。
そんな手紙を読もらうと情けなく哀れになって、「そんなに生きていることが面倒なら、息をしなければ良いじゃないか」という返事を書いてしまいます。

人の世話になることが嫌いで、老人二人で丘の上に住んでいるのに近所の人の世話も行政の支援も受けず、神様や仏様などいるわけがない、死んでも葬式をだしてくれなくてもいい、そしていつの間にか墓地を買っていて、その理由は、「だれもごみには出せんだろうからだ。」といいます。

僕も似たようなもので、外に神様や仏様がいるとは思ってはいなく、でも仏は確かにいると信じています。

小学生のころのことです、おかずに金時豆がめいめい分小皿に盛られていて、自分の分を運ぶとき床にひっくり返して、あわてて皿に戻して、こぼさなかった皿とすり替えて食べたことがありました。見ていたのは自分の心なのですが60年近く経った今でも心に刺さったまま鮮明に残っています。鼠を殺したときのこと、酔って看板を壊したときのこと、ごみをそっと隠したこと、店員が出てこなかったのでチーズを失敬したこと・・、厭なことは忘れるものだと聞いているのですが、鈎のついた針のように取れずにいる棘があるものです。

NHK深夜便ではしばしば中村元さんのお話が出てくるのですが、凄い人ですねえ。

中村元 (哲学者) - Wikipediaで調べてみると。

中村が20年かけ1人で執筆していた『佛教語大辞典』(東京書籍)が完成間近になったとき、編集者が原稿を紛失してしまった。中村は「怒ったら原稿が見付かるわけでもないでしょう」と怒りもせず、翌日から再び最初から書き直し、8年かけて完結させ、1・2巻別巻で刊行。完成版は4万5000項目の大辞典であり、改訂版である『広説佛教語大辞典』では更に8000項目が追加され没後全4巻が刊行した。校正や索引作成に協力した者がいるとは言え、基本的に1人で執筆した文献としては膨大なものである。
いう記事があって、深夜便でそのときの関係者の話で聞いた話でもありました。

Youtubeの動画もありました。
http://www.youtube.com/watch?v=NWZtkxP3eGg&feature=related

釈迦の最後の教えは「自灯明法灯明」、どこにも頼りにすべき神仏などいなくて、「自分の心の中を見てごらん、その心を磨き、心の正しいと思うように生きなさい」ということでしょうか。
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by takaryuu_spring | 2010-05-04 16:48