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犬その1


家にはいつも何か動物がいた。父がとても動物好きだったからだ。
僕が小学校一年の時、その時父の仕事の都合で清水にいて狭い二部屋の間借り住まいだったから小鳥ぐらいしか飼えなかったが、その縁の下にお腹の大きな野良犬が住みつき子供を産んだ。今では十何万もするような甲斐犬だ。
少しすると乳離れしたのか甲斐甲斐しく餌を運ぶ母犬の姿が見られた。餌をたまにやろうとするのだが甲斐犬らしく気位が高く人のやった餌を食べようとはしなく、いつも自分で調達してきたものしか子供に与えなかった。
それでも子犬は親のいない時にちょろちょろ出てくる、親には怒られるが子供の好奇心はおさえきれるものではないようだった。
中に甲斐犬の模様の全くない黒い丈夫そうな犬がいてそれを失敬して家で飼うことにした、他の犬たちには申し訳ないのだがそう何匹も飼う訳にはいかないのだ。
それがその年のそれから半年もしない内にまた父の転勤が決まり名古屋に来た、この犬も勿論一緒で名前は母がマージンとつけた。
敗戦直後、米国の影響で台風には女性の名前が付けられていたそうで、マージンも台風の名前でとても強い台風だったと言う、その台風の名前を借用したのだそうだ。
その名の通りマージは強い犬に育っていった、黒く長いヒゲの付け根の部分だけ所々少し茶色く、和犬にしては少し長めの脚を持ちその脚を八の字に開いて立ち、太いしっぽはいつもくるくるまかれていた。
そして大人になった時には自分よりうんと大きなセパードにも恐れることなく向かっていった。
もう散歩は恐がりな母ではとても手に追えなくなって、それで僕が三年になると散歩は僕の仕事になった。
彼はあまり鎖につながれていることが好きではなかった、それでよく鎖を切って逃げ、外で喧嘩の武者修行をしてくるのだ。彼の耳はその経歴を記すように簾のようにずたずたに切れていった。それでもう辺りに敵はいないようになっていた。
それでも鎖を付けている時のマージは決して喧嘩の好きな犬というふうではなかった、鎖をつけていて自分から喧嘩を売ることはなかった。
犬には犬なりのルールがあるとみえて喧嘩をしないですれ違うことも出来るようなのだが中には向かってくる奴もいるのだ。
まだ放し飼いの方が多かった頃で、その犬が自分の家の前や飼い主が近くにいてここなら俺の縄張りで、自分に分があると思うと向かってくるのだろう。犬の喧嘩はまず睨み合いから始まる。相撲のしきりに似ていて見合って見合って・・・それで終わりという時もある。
こちらは鎖をにぎられていて向かってはいけない。それに自分の好きな態勢を整えることもできないのだ。睨み返して勝負をつけなければ相手の攻撃をただ受ける、喧嘩になると鎖をつけているマージは自由が効かないから断然不利だ、それでも勝つときは良いが相手も強いと壮絶な戦いを展開する。だいたい首から肩にかけての部分をお互い咬み合い首を振って振り回す、放して他の部分を咬もうとするのだが離れた瞬間相手もそうしようとしているものだからまた同じ態勢になってしまうのだ、こんな時耳を咬まれるとそのまま自分でその耳を無理やり引っ張るものだから簾の耳になってしまうのだ。鎖は良い態勢を取るのに実に都合が悪い。形勢が悪くなると僕としてはなんとかマージに負けてもらいたくないものだから鎖を離す。すると喧嘩のコツをしっている彼はたいていあっけなく勝った。勝つとしばらくその犬を追っ掛けて行き、それでも呼ぶと意気揚揚としっぽを立てて帰ってくるのだった。逃げる犬をそんなに深追いすることもなかった。
僕はその犬を連れて散歩をすると自分も強くなっているような錯覚さえ覚えていた。
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by takaryuu_spring | 2006-08-31 23:10

うさぎ 4

しばらく思い出にふけった後、「よしこれですんだ。あとは、おいしく食べられるだけだ。」、「もしできたら、おじいさんがぼくをよろこんで食べてくれる顔が見られたらなあ」と思うだけでした。

うさぎは、こんどはたぬきのところにやってきて「たぬきくん、火をどんどんたいておいてね、それがすんだら、食事の時間がくるまでたぬきさんもどこかに行っててね、ここにはだれもいてほしくないの、ぼくの料理はとくべつのとっておきなのだから。
月が出たら食事の時間だから、おじいさんに、食べてもらってほしいの、ぼくは、ちょっとつきあうことができないけれど、心配しないで楽しんでもらってね」とたぬきにたのみました。

そのあとうさぎがなにをして、どうなったかは、みなさんご存知ですよね。

焼け焦げたうさぎのからだを前にして、がっくり肩を落してたおじいさんと、なぜ、なぜと?と悲しみに泣きくずれるみんなの姿がありました。「もしわしがこれを食べなかったらどんなにうさぎががっかりするだろう」と言ったとき、月が昇り、そこにはうさぎがこっちを向いていました。
うさぎの最後の希望は「うさぎのもてなしをうけるおじいさんの顔を見ること」でした。神様のはからいでその希望はかなえられ、うさぎのたましいは月に行ったのです。

          隆介
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by takaryuu_spring | 2006-08-30 19:14

うさぎ 3

その次の日はくまのばんです。
くまは、本当はもう冬眠するつもりでいたのですが、おじいさんのためにぼくにもなにかできたらと、もう一日寝るのをおくらせたのです。
「ぼくは、魚をとってこよう」と川にやってきました。
川の水は、身をきるように冷たく、それにすこし前までは、たくさんいた鮭も、もう一つぴきも見あたりません。
つめたい川の中を魚をさがしてどんどんのぼって行くと、滝のあるところまできてしまいました。
ぬれた体からは、ゆげがほこほこたちのぼっています。
もうさむさも、ねむかったこともすっかりわすれてしまったみたいです。
「こまったなあ、魚 とれるかしら、」とすこし心配になりまりましが、そんなことを言っているよゆうなどありません。もう必死で川の中をさがしまわり、それでやっと日のくれかけたころ、大きな岩魚をつかまえることができた時にはうれしさでなみだが、でそうになったくらいです。

おじいさんはさるやりすのもてなしをうけて、このころにはすっかり元気をとりもどしていて、くまの捕ってきた魚だけでは、たりないくらいに、食欲がありました。

そして、今日は、うさぎがもてなす番です。
一体うさぎはどんなもてなしを、するのでしょうか。
さるが、かきや、りんごや、さる酒でもてなし、それをおいしそうに食べ少し元気になったおじいさんを見てみんなでよかったと思いました。

そして、宝物みたいに大事にしていたくりや、くるみをおじいさんが、おいしそうに食べるのうっとりとまんぞくそうに見ているりすを見て、自分もなにかおじいさんのやくにたちたいなあと思いました。

それから、くまが、凍るように冷たい川に入って、必死に魚をとるようすをみて。くまさんはすごいなあと、思っていました。

そしていつも火をたいてあたたかくしてくれていた、たぬきには本当に感心していました。

ぼくも、おじいさんによろこんでもらうぞ、と大はりきりです。
といっても、うさぎには、なんのたくわえも、わざも、ありません。
「おじいさんを、元気にするには、やっぱりえいようのあるものだなあ、くだものに、木のみそれに、魚はすんだし、あとは、おいし肉か・・・ 」
「きつねくんやいたちくんに、たのめばきっとなんとかしてくれるのだけれど、それは、だれかが、ころされる、ということだしなあ・・・ころされるなんて、だれでもいやだよなあ・・・ 」と考えこんでしまいます。
どれだけ考えても、肉を手に入れるためには、だれかが死ななければなりません。
「・・ぼくがお肉になるしかないか・・」 そうけっしんするとうさぎは、自分の家のまわりや、部屋のなかをきれいにかたずけ、それから冷たい川に行って、体をあらいました。

それからいつもいた野原に行って一番みはらしのよい高台の石の上に座り下をながめて思い出にふけりました。
野原で仲間ととびはねて遊んだこと、雪がとけるとふきのとうが、そこらじゅうに、めをだしそのほろにがい春の味がおいしかったこと、野や山に木のめがいっぱいはえるころ、なかでも、野いちごがいちばんおいしくて、いっぱいなっているところを見つけたときには、だれにも教えないで、毎日一人でかくれて食べにいったこと、秋にすこしおそくまで、遊びすぎてまいごになった時、きつねにねらわれて、あやうく食べられそうになったこと、などつぎつぎに思いだされ、どれもたのしい思い出ばかりに、思えました。
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by takaryuu_spring | 2006-08-29 20:00

うさぎ 2

そんなあるとても寒くなった日のことでした。とってもみすぼらしい、よぼよぼのおじいさんが、この森にやってきて森の広場まできてたおれてしまいました。
とても弱っていて、どう見てもこの冬一冬もちそうにもありませんでした。 これを、森のみんなが、だまって見ているはずがありません。
みんなでこのおじいさんに、よろこんでもらえるように、おもてなしをしてあげようということになりました。
みんなそれぞれ頭の中にいい考えがうかびます。ただ、うさぎとたぬきはちょと思いつくものがありませんでした。
うさぎもたぬきもあまりぜいたくなほうではなく、木の皮や草の根それに、虫の幼虫なんかで冬をすごしていますから、人間の口にあうものが思い浮かばなかったのです。
それで、たぬきが言いました、「ぼくたちでまきを集めてきてたき火をしよう、あたたかいのが一番のごちそうだよ」とうさぎに言いました。
うさぎもそれはとても良い考えだと思ったのですが、「たぬきさんそれはたぬきさんがやってあげてよ、私にはもっと良い考えがあるから」と言いました。
ほんとうは、良い考えなんかなにもなかったのですが、うさぎの家のおじいさんから聞いたお話を思い出したのです。
みんなもしっているでしょう、「かちかち山のたぬき」のおはなし。
私の御先祖様が、あんなひどいことを、昔したのに、またおせわになんかなれない、と思ったからでした。

最初の日は、さるがもてなすことになりました。
さるは、大急ぎで森のおくまで、かけて行きとっておきの柿やりんごを、もいできました。
それからお正月用にと、一年がかりで作ってきた特性のさる酒までもってきて、おじいさんをもてなしました。
おじいさんも、そのりっぱなくだものを見て目をまるくし、さる酒を目をほそめて飲みました。
おじいさんの顔には、みるみる血の気がさしてきて、少し元気になりました。
それを見て、みんなもほっとしました。

次の日は、りすがもてなすことになりました。
りすは、今までためてきた木の実を全部そうこの前に出して、その中からりっぱなくりとくるみだけをえらび出しました。
人間にはりすが一番たくさん集めたどんぐりなんか食べられませんものね。
くるみやくりだけなんてりすにとっては一生に一度もできないぜいたくな食事です。
でもりすは「おじいさんこんなもの食べてくれるかしら」と少しもおしむどころか、はんたいに心配したくらいでした。
そのくりとくるみを、大事そうにピカピカにみがきあげ、おじいさんにともってきました。
おじいさんが、この日も本当においしそうに、これらを食べるのを見て、りすは、ほっとしました。
そしてもううれしくうれしくててたまりませんでした。
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by takaryuu_spring | 2006-08-28 10:37

うさぎ

うさぎ
みどりが森は、みんな仲良く、とってもうまくいっている森でした。
ねずみやふくろう、うさぎやきつねさえ仲がいいというわけではありませんが、うらみになんか思うこともなく何の不満もなくすごしていました。
それは少しへんではないかって?
ねずみやうさぎはふくろうや、きつねに食べられてしまうんですものねえ。 それは、必死に逃げ回ります。でも食べられてもうらみっこなしとみんな心にきめているのです。
だって、自分たちには、どんぐりとか、野いちごやおいしいわらびなんかが、食べられるのにふくろうや、きつねにはそんなもの食べられない体にうまれっついているのですから、かえってかわいそうだ、と思うくらいでした。
でもいったいいつからこんなふうに自分を食べてしまう者までにくいと思はなくなったか、というとこの森にのこっているう「さぎが月いるわけ」というおはなしを、みんなが信じているからなのです。
今日は、そのお話をしてみようと思います。
むかしからこの森は、皆仲の良い森だったのです、森の仲間たちは、いつも人に喜んでもらえる競争をしていました。
ぼくの学校でも「一日一善運動」と言って「一日に一つは、人のためになるようなことをしよう」という運動を時々やっていました。
それと同じようなことをこの森でもやっていたのです。そして、一日が終わるとなかの良い者どうし集まって、今日した良い行いを話すのが楽しみでした。
真っ赤だった森の木々の葉もちりはじめ、秋もおわりに近ずきました。
森には、食物も少なくなり、夜になるとうんと冷え込みます。
りすは、もうとっくに冬の為にくりや、くるみや、どんぐり、をたくわえていましたし、さるはだれにもとれないところにある木の実や木の芽の場所をおぼえしていました。
くまは、鮭なんかをたらふく食べて体に栄養をたくわえ、もういつ寒い冬がきても冬眠できる状態になっていました。
野うさぎは、というと、食べるものは木の皮や、草の根を掘ればいいし、雪がふるほど寒くなるころには、暖かい毛皮にかわってしまうし本当に神さまは、よくつってくれたと思うばかりでした。
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by takaryuu_spring | 2006-08-27 19:22

鹿児島

最初の頃載せたのですが、間違えて消していまったので再登場です。

 鹿児島の田植は遅い。20センチ以上に成長した苗を植えるのだ。
 名古屋で育った僕に、彼は田植を手伝ってくれないかと誘ってくれた。都会育ちの僕が行ったところで何の役にも立たないことは、分り切っているのにまだ友達のいない僕を見て誘ってくれ、図々しくもその誘いに乗ったのだった。
彼の家はたばこで有名な国分にある。門司から福岡・久留米・熊本・鹿児島と走っているのが鹿児島本線、門司・大分・宮崎・鹿児島と通っているのが日豊線なのだが、国分はその日豊線の側にある。
 鹿児島駅を出て10分もするとすぐ桜島を浮べる錦江湾に出、そのまま錦江湾沿いに国分まで桜島が列車の共をしてくれるのだ。
 桜島も富士山のように円錐形の山なのだが、こちらは正円ではなく楕円錐で、汽車が進に連れ島の形も刻々変る。桜島を浮べる錦江湾自体も丸くカルデラ湖なのだそうで、外輪山にあたる大隅半島、薩摩半島、霧島連峰それと桜島などから想定すると元の山は10000メートル級の世界一の高山だったそうで、錦江湾は現在カルデラ湖としては世界一ということだ。
 シラスと呼ばれる落雁のような火山灰で出来ているここら辺の山々は、雨で垂直に溶かされ西部劇に出てくる岩山ような形をしている。汽車の旅は短かったが彼の説明もあっておもしろかった。
 赤塚君の家は駅から歩いて20分ばかりの田園地帯にあった。何年か前の台風で壊れ、それで家族だけで建てたという家で、6畳二間にトイレ・風呂・台所のブロックを積んだだけの造だった。
 彼の家に着いてその辺りをぶらぶら散歩したり、今度田植をするという田圃を見に行ったりして、夕方帰るとすき焼の用意がされていて、すぐ食卓に呼ばれた。
 僕と赤塚君・そのお父さん、お兄さんの四人が鍋を囲んで座りビールが抜かれ食事が始った。他に家族としてお母さん、妹、お兄さんのお嫁さんが居たが彼女たちは鍋に肉や野菜を入れたり味をみたり酌をしたりするばかりで、箸をつける様子はない。一緒に食べないのかと聞くと、自分たちは後で食べるから心配しないで、ゆっくり食べてくれと言うのだ。
 部屋が狭いし火の都合もあるから「まあいいか」と食べる。出された物を残すのが嫌いな僕は腹がはち切れそうになるまで食べ「ご馳走さんでした」と席を彼女たちに代った。当然新しい食材が用意されていると思っていた。ところが、もう何も残っていないそのすき焼鍋には何も追加されることなく、ご飯と生卵それに煮すぎてよれよれになった葱だけが彼女たちの晩御飯だったのだ。
鹿児島ではまだ男尊女卑の習慣が強く残っていたのだ。それを知らなかったとはいえ実に悪いことをしたと思い、その夜赤塚君に謝ったが彼は「良い、良い」というだけで笑っていた。この鹿児島にまだ残っていた男尊女卑も、知らない者にそう見えるだけの表面的なもので、決して本心女性蔑視というようなものではなく、どちらかといえば女性の方が発言力も強く威張っているのではと、何年か鹿児島に住んでいるうちには思えた。
 その日の僕はお客さんとして扱われていたようで、風呂も一番に入るようにすすめられ、断ることは出来そうになかった。それも五右衛門風呂で、ふたを取るともう一枚ふたのような物が浮んでいて、その上乗って入るのだが、まだ薪のくべられている風呂は釜が鉄だから手足背中どこでも触れれば熱い、思いっきり膝を両手で抱いて入ったが何とも窮屈で入った気もしなかった。
翌日水が張られた田圃に、屑屋からもらってきたというポンコツの耕耘機がけたたましい音をさせて耕す。するとすぐツバメがたくさん集ってきて水面すれすれに飛交い始める。土が堀り返されると虫たちが出てきて、それをツバメが待ちかまえているのだという。見ているとなるほど何匹ものオケラがポコポコ出てきて水の上を走る。
オケラというのは4センチくらいのラッコみたいな形をした虫で、土の中を自由に通れるよう、モグラみたいなシャベルの手を持った愛嬌のある虫だ。名古屋でも舗装道路の少なかったころの夏の夜、部屋に飛込んで来て子供たちの人気を集めたものだ。
実際の農家の仕事を見るのは始めてだったので何を見てもおもしろい。これで明日は田植が出来るのだ。
 ここ国分は全国一のたばこの産地で、田圃でないところはたばこ畑が広がる。たばこは下ほど葉が大きいのだが、安いたばこ用になるのだそうで、大きさをそろえて乾燥させ出荷する。専売公社で乾燥したその葉に砂糖水を噴霧して筵をかけて発酵させ、それを刻んで紙に巻いてたばこができあがるのだという。たばこの甘い香りは砂糖の焦げる匂いなのだ。
 翌日は僕にとって始めての田植だ。目盛の綱が張られ、それにそって植えていくのだが、想像していた苗とは大違いのたくましい雑草のような苗を、指先を根本に合わせ一気に差込み指を抜く…すると「プク」、残念ながらちゃんと立ってくれずに浮んでしまう。それで失敗したのを直す為に歩き回ると、田圃に穴がボコボコあきよけい植えにくくなってしまう。
屈んだままの姿勢も耐え難く辛いもので、それでもみんなに遅れてはいけませんし、もう必死でした。30分もやるうち少しは要領も解り、周りを見る余裕も出てきます。田圃を見ると蛭がヒラヒラ泳いで来て隣の赤塚君の足にすいつきました。「蛭、蛭足についたよ」と言い、ついでに自分の足も見ますと飛上がりそうにびっくり、上げた足には簾のように蛭がぶら下がっていたのだ。
 蚊や蜂なら許せるが、虻や蛭のように針を使わなで血を吸って行く奴はどうにも気持悪くて許せない。その蛭がいっぱい自分の足にくっついているのだ。思わずひっぱったがひっぱっても取れない。当惑している僕に、何喰わぬ顔で田圃の土にくるんで、揉んで土と一緒に掴み取るのだと教えてくれる。こんなのほんの蚊に刺されたのとたいして違いないという感覚なのだろう。
 二日目の昼には田植も終ってしまった。「今日は鶏を潰すけど見るかと」彼が言います。殺生の現場を見ることはあまり気が進まなかったが「うん」というとお父さんが鶏を指定してくれた。「この鶏は最近卵の産みが悪い、これにしてくれ」実に簡単に死刑執行の判決が言渡されます。
ケージの扉を開け、鶏を抱えて持ってきます。こんな大きな動物を殺す所を見るのは初めてで、どきどきして見ていますと、彼は鶏を逆さに抱き頸動脈を包丁で斬ります。「クゥッ」一声鳴いただけでした。ツゥーと血が下に置いたバケツに流れ落ちます。鶏はというとなんと目を半眼に開け恍惚としています。そして最後にブルブルと首を痙攣させただけでした。
「ね苦しみなんてしないだろう」と言いながらバケツにたまった血を豚の餌箱に流します。すると血に飢えた?子豚が飛んできて鼻を真っ赤にして食べます。
 彼の家は5反に満たない田圃・100羽ばかりの鶏それと10匹の豚を飼っていました。豚は今年生れたばかりの子豚が7匹、おや豚が3匹でしたがその中の一匹は品評会一位という牛のような巨体の豚で、あまり重くなりすぎて立上がれなくなってしまったということでした。
 子豚はわんぱくでとても可愛いものです。目の高さの柵があれば大抵逃出さないものなのだそうですが、一匹が飛出してからみんなまねをして集団で脱走する、脱走して近所の畑や庭を荒し回る。よじ登る事を覚えてしまったから多少柵を高くしたくらいではクリアするのだとか、豚も頭良い。
 生れてすぐに虚勢するのだそうですが、ハサミで玉をチョキンと切取りそれをおや豚の餌箱に放り投げる、すると即パクッと食べてしまうのだそうだ。
 鶏は安い卵より鶏糞の方が利益になるとかで、いつも広げて干してあるのですが、脱走した子豚はこの鶏糞も食べてしまってそれも困ると嘆きます。そしてついでに奄美大島の田舎の話しをしてくれました。
 それは「大島の田舎には便所があっても大抵外で用を足す、庭でしゃがんで大もする。うんこが出かかると臭いをかぎつけ、豚がかけ寄ってきて地面に着く前に食べてしまう、そしてうんこをしている間中お尻ぺろぺろなめるから、ちり紙で拭う必要もない。最初はうんこも引込んでしまたけど、馴れるとこれが快感なんだよな」というものでした。そんな馬鹿な、と最初思いましたが2・3日彼らと生活をしてみると嘘ではないかもと思えてきます。
この家の人は誰も歯を磨きません。歯ブラシなど一本もないのです。でも虫歯の人もいません。
 彼の家は広い田圃がありませんから、食べていくため小規模ですが養豚・養鶏もやっていたのですが、たくさん飼う土地がありませんから、豚や鶏を屋敷内で飼っていて、それで蠅の数も半端ではありませんでした。
行った翌日、田植に一区切りつけ、お昼ご飯に家に帰ります。みんなしばらく腰を下ろしていましたが、何故か全員申し合わせたように席を立って、たばこを吸いながらの立話にかわりました。そして同時に戸が閉められてしまったのです。何事がはじまるのかと見ていると、やおら今では見ることもありませんが、手で押す噴霧器を持出しシュ・シュ・シュと部屋に撒き、彼も出てきました。僕は「うん」部屋を閉めた方が効率いいからななどと感心します。5分ばかりして戸を開けますと、びっくり仰天畳は蠅の死骸で真っ黒、それを箒で掃出してから、やおらご馳走が運びこまれます。
退治してもすぐ隣に蠅の本隊が駐屯しているのですから、すぐまた飛交い、今運んできたご馳走にたかります。ところが今度は蠅が来てもみんな無視です。蠅のたかったおかずを見てとまどっている僕を見て、お父さんが「うちは蠅もたからんようなまずいものなど出さんからな、はっはっはっ」などと冗談を言います。箸で摘んだものに蠅がたかっていても、そのまま口に運びますから僕が「蠅が」、と言いかけますと「蠅も死にたくないから、口の中まで入りはしない」などと言いかまわず食べ続けます。
そりゃそうだけどなんとも恐れ入った感覚です。それで誰も体を壊したりなどしないのですから、一般的衛生観念なんど迷信だなと悟り、それ以来僕もこの無神経主義の信奉者になったのですが、そうするとそれまで年1・2回風邪を引いて寝込んだり、お腹も弱かったのですが、いつの間にか体が丈夫になってしまい、体質も変ってしまいました。ただそれでいい気になって食べ過ぎ、飲過ぎ、遊び過ぎの人生を送り、結果脳梗塞になってしまいましたが。
なぜ思い出したようにこんな文を書いたのかといいますと。
最近SARSの恐怖に世界は恐れおののいています。その他にも杉花粉症、アトピー、エイズなど現代人は昔なかった病気に悩まされています。薬ではあまりよくならず、治す手段は人間の免疫力にかかっているのでしょうか。またSARSなど人間のではなく自然界の免疫力低下のせいではないかと思うのです。
最近の中国の近代化はすざましいものの様で、緑の森や農地は整地され工場が建ち、川や空中にはものすごい量の汚染物質を排出していることは明かです。
生物連鎖の中には目には見えませんが、ばい菌だって他の生物の為に大いに働いて、空気や水を浄化しています。虫やばい菌や植物が地球の環境を保全してくれているのではないでしょうか。確かに昔に比べ清潔で、豊で、便利な世の中になりました、でもそれは人間にとってのことです。自然の中の人間であることをわきまえて、生活を自制することも必要なことだと思います。
昔肥料といえば下肥でした。今以上にいたゴキブリを気にする人もいませんでした。ねずみの被害は今以上だたでのでしょうが、お話に出てくるねずみはいたずら者ですが、可愛い愛嬌者で、必ず恩返しをしてくれます。害獣、害虫を根絶やしにしてしまおうなどとは誰も考えませんでした。
最近はなんでも殺虫・消毒・除菌です。それって本当は何も住めない世界のことでしょう。もう一度そんなことを考えて欲しいと思い昔の楽しかった思い出を書きました。
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by takaryuu_spring | 2006-08-26 22:11

お兄さんになったたっちゃん

おはよう
めがさめたら またおねしょしていた
ほんとは ごめんなさいって いうつもりだったの
でも もう ぼくおおきいんだから はずかしいよね
それで ふとんをたたんで おしいれに しまってあげた
ふとんをたたんであげたから おかあさんきっと よろこぶとおもったんだ
おかあさん ありがとうていったよ
ぼくうれしかったけど おねしょのことばれないかと あんまりうれしくなかったかも

ようちえんから かえって しろとあそび
それから おかあさんと かいものに いったんだ
しろの ちゅういんがむ と ぼくの ちゅういんがむ と かったけど しろのが おいしそうだったから
かじってみたけど かたくて あじがなかったよ

しろ おにわで おしっこして おかあさんに
うんとおこられた かわいそう

ぼく あしたは ぜったい おねしょしないんだって
おかあさんに やくそくしたの

めがさめたら おねしょしてなかった
おかあさんの ところに はしっていて おはようっていったら
おはよう たちゃん ずいぶん
おにいさんになたのね だって
それで ふとん また たたんであげた
おかあさん たちゃんが ふとんたたんでくれるから
たすかるっていてた ぼく ものすごく うれしかった
ようちえんから かえったら しろさんぽに つれてってやるのだ だって おにわで おしこしたら しろ また おこられちゃうもん
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by takaryuu_spring | 2006-08-25 18:33

回向

回向とは行き来
仏壇に向かって手を合わせることには少し抵抗がありながら、それでもなんとなくしなければいけないのかななどと思う。
先祖とか仏様を信じていなくても、しないよりしたほうが良いことのように思うのだが、なんとなくではやはり意味のない行為に思えてたよりない。
僕のお婆さん達は朝起きると、昇り始めたばかりのお日さまに向かってパンパンと柏手をうち深く一礼をしたものだ。「太陽を拝んでなんだ」などと思ったものだが別に太陽を拝んでいる訳ではないようなのだ。
太陽の昇ということから、その日一日の始まり、今日一日もこの世の流れの中に入れて下さいと拝んでいるのだと思う。
日の出を始めとする自然現象や、複雑怪奇な世の流れを支配しているものを 「お天道様」という。そしてお天道様は「正しい」ことの象徴で、僕たちは誰も見ていないところで悪いことをしても善いことをしてもこのお天道様だけはちゃんと見ていて誤魔化すことができないのだ。
お天道さまには何時も「おかげ様」がついている。目に見えない部分から間接的に助けてくれる存在で「今日一日良い日であるように」とお天道さまに願い、「お陰さまで」で一日が終わる。これが大まかな日本の信仰だと思う。
「お天道さま」という随分あいまいなものが信仰の対象な為解りにくいのだが、でも僕にはキリスト教や仏教よりなんとなく理解しやすく、そのためキリスト教や仏教でさえこのお天道さま信仰で説明しようとするきらいがある。それがそのあいまいさ故に結構合理的に説明出来てしまうところが良い。
僕自身先祖崇拝も阿弥陀様とか御不動様とかいったものへの信仰心もないのだ。それでいて何かをやはり拝むべきではないかと思っている。それは自分自身に自信がないからに他ならないが、なにかを信じたいということは確かだ。それでいてその対象をよく理解もしたいからやっかいなのだ。信じるということは本来理解しなくてもよいということなのだ。
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by takaryuu_spring | 2006-08-24 21:43

たんぽぽの仲間

たんぽぽの仲間
たんぽぽの仲間には、お花屋さんの店先を飾るきれいな花や、私たちがよく口にする野菜の中にたくさんあります。
レタスもたんぽぽの仲間で、新しいレタスをちぎってみてください。その切り口からたんぽぽを折った時に見るような白いベトベトの汁が出てきます。そして、たんぽぽの葉っぱもサラダにすると癖のないおいしいものです。
たんぽぽの根は、きんぴらにして食べるとごぼうの様な味がします。実は、あの長い根のごぼうもたんぽぽの仲間なのです、味噌漬にする山ごぼうは、色は違いますがたんぽぽによくにた形の花を咲かせるあざみです。
寒い冬を元気に越せるようにと、一番寒い二月の始めに食べる七草粥の・ほとけのざ(おにたびらこ)と、ごぎょう(ははこぐさ)もたんぽぽの仲間です。
まだ寒い冬に最初に雪を割って、春のおとずれを告げるのは、ふきのとうですが、ふきもやはりたんぽぽの仲間です。
どこにでも生えるので「蕗」という字を書きます。
春を感じる味に草餅がありますが、草餅の代表、よもぎもそうです、よもぎはその葉の裏の細かい毛でお灸もつくります。
冬とは反対に、暑い夏を代表する花と言ったら・・・太陽そのものという感じの「ひまわり」ですがこれもやはりたんぽぽの仲間です。
花から野菜にもどって、冬の鍋料理の名脇役は春菊。そうですたんぽぽは、キク科の植物なのです。
菊といえば日本を代表する花で、だいたいどんなものが仲間か皆さんにも想像がつくと思います。
春の、きんせんか・デイジー・ガーベラ・スノーポールからはじまって、母の日にはマーガレット、そして夏にはひまわり・マリーゴールド・秋は、だれにも愛される花・コスモスそして最後まで咲いているのは日本の花・菊です。
たんぽぽのお話本当のような気がしませんか。
それからたんぽぽの花というのは、お話の中にあったように、一つの花に、一つの種しかつけないのです。
落下傘みたいなあれで一つ分の花です。
ちょっと変みたいですが、花のように見えるのはたくさんの花が集まって、一つの花のようなふりをしているのです。
花びらみたいに見えるのも、おしべかなと思うまんなかの、黄色の部分も、その小さなひとつずつが花です。それがたんぽぽの仲間(キク科)の特徴です。
一枚の花びらも、中心の黄色いつぶつぶの一つひとつも全部一つひとつが、花。 八重の菊はみんな花びらみたいですが、その一枚一枚が花、コスモス
あざみなんかは、だからはなびらが付いていないように見えますが、心配ご無用小さな花のあつまりなのですから。

それでは、ついでに、たんぽぽの花のお父さんは、だれだと思いますか?
ぼくは、それは、浮気な蝶々だと思います。だって花粉なんて、ただの精子と同じでしょう。
そしてその蝶々のお母さんはキャベツだと思うのですが。
蝶々は、キャベツのおなかのなかでだいじに大きくなるのですから。
皆さんは、どう思いますか?
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by takaryuu_spring | 2006-08-23 20:57

たちゃんとしろ

たっちゃん
きょうは にちようび おとうさんは かいしゃが やすみ
あさごはんを たべたあと ぼくとしろとおとうさんは
へいわこうえんに さんぽに いきました
いけの みえる ひろばで しろ とボールで あそびます
ボールをなげると とおくまで とぶよ
ぼく やきゅうの ピッチッヤーになるんだ
しろも やきゅう とっても じょうずだよ
がいやは しろが いいと おもうんだ
ぼくの なげた ボールを はしっていって すぐ  
  つかまえるんだ てんさいだねえ
「ぼくたち ぜったいやきゅうの せんしゅになれるよね」て、おとうさんに いったんだ そうしたら たっちゃんは なれるけど しろは ぜったいなれないんだって
ぼくより すこし へただけど でも じょうずじゃない
なげること できないけど とってもはやく ボールをもってくるよ
この こうえんで いちばん じょうずに ボールをとるよ

ぼくがボールを なげたら ハトの ところまで とんでったよ
しろが はしっていったら はとがとんだよ
しろったら こんどは はとをおっかけたんだ
ボールとまちがえたのかなあ
それで はとはにげちゃった
しろは あしが 4ほんあるから ぼくより はしるの はやいんだよね
はとは あしが2ほんだけど はねがあるから とべるんだ
ぼく あしが4ほんあって はねがあったらすごいとおもうけど おとうさんどうおもう
おとうさんは「たっちゃん手はどうするの」 だって
そんなの きまてるじゃんね
手がなかったら ボールなげられないじゃない
でも てが2ほん あしが4ほん はねが2ほん
なんて かいじゅうだね
きっと こんがらかっちゃうよね
それに かっこわるそう
やっぱり たちゃん このままでいい
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by takaryuu_spring | 2006-08-22 19:00