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彦二3

真夏のまぶしい光の中をくるくる回りながら上昇していった。景色が小さく小さく、街並・川・山・海とどんどん視界は広がりっていった。
彦二は、思った「これが昇天というやつだな。やっと終わりに近づいたか、それにしてもつらいことのほうが多かったなあ」と ところがそう思ったとたん、上りは、止まり、後は風に流されて地球の回りを回り始めた。
それでも上空からの景色はすばらしくそれに風に流されている為一刻も留まることなしに変化し続けますから見飽きることもなく、やはり天国に思えた。
たしかにこれで満足していれば、これも天国に違いない。
真青な海、きらきら光ながら昇ってくる太陽、その海をすっぽり包み隠して雪より白くまぶしく輝く雲の時もあった。一面の砂しか見えない時もあった。緑のジャングルを分けて流れるアマゾンの大河に感動したこともありました。白い氷の大陸南極の上を通ったことも、そしてそれらがいつも同じではなく、一時も同じことはなく変化している様を見てきた。
日照りが続いて枯れそうな木ばかりの所を通った時には、もし雨になれたら少しはあの木達のためになれるのにと思うのでした。大洪水の上を通った時には、あんなにいっぺんに雨にならなくてもよさそうなものをと、思いました。
でも地球を一万回も回って見ていると、それらのことがちゃんと訳があってそうなっているようにも思えるのでした。
天国かも知れないと思われたこの水分子の姿でしたが、何時の間にか、「いつかきっと自分が必要とされたら、きっと水滴になれるのだろうな」と思い始めていた。でも自分にどんな変化も起こらないようにも見えた。思い通りにはいかないことはもう嫌というほど解っている。

隣には酸素や窒素がいた。たまに水素が通って行く、同じ仲間の水蒸気にもよく出会った、でもみんなバラバラでなんのコンタクトもとれない。「へたに関わったらまたとんでもない世界に逆戻してしまうとみんな思ってお互い無視しあっているのかもしれないな」と彦二は思ったくらだ。
ある時ある水蒸気と少し話しをすることができたのだが、「もう五十年こうしている、長い奴は千年・万年、もっと長くこうしている奴もいる」・「そして本当はみんな水になりたいのだが、それがとっても難しいことらしい、悟りを開くようにね」と言っていた。
彦二が水の分子になって空に飛び出してから30年めのことだった。日本は、大変な猛暑に襲われ、からからの砂漠みたいな年のことだった。
彦二は自分をだしてくれたN区の楠の上を通った。道路がどんどん拡張されもうすぐその楠を飲み込んでしまいそうだった、そしてそれは彦二が人間だった時に彼が名古屋の為にと必死で考えた都市計画の通りだった。
あの時楠を切ると主張したのも彼だった。それと寸分違わない道路が、建設されているのだ。
彼が、蝉だった時彼を育ててくれた木、そして無残な死に方をしたのもあの木の下だった。
それから水になって意識のなかった彼を引き上げこの空中に送り出してくれたのも、あの楠だった。自分だけではなく、どんなにたくさんの蝉を、その他色々の動物達を育み、どのくらいくさんの水を汲み上げてきたことだろう。その楠が今切られてしまおうとしているのだ。
でもどうにもならないことはもう充分解っていた。それでも彦二は、最後に一滴でもいい冷たい水をまいてあげねば、なんとかあの楠に雨を降らせてやりたい、「自分はどうなってもいい、また地獄に堕ちたっていい、もっともっとひどいめにあってもいいから雨になりたい、たとえ一雫の雨でも」と思った時ゴビの砂漠から小さな砂粒が飛んで来てそれにつかまって雨の粒になりました。
終わり
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by takaryuu_spring | 2006-07-30 20:16

彦二2

彦二
奈落の底に落ちていき意識をなくしていった彦二でしたが、誰かにひっぱられ、上っているのに気付きます。
誰かが自分をしっかりつかんで離さない、そして確かに上に上がっているのだ。気が付いてみると自分も誰とも分からない、自分と同じような者をしっかりつかんでいた。重いから離そうと思っても自分の意志では離すことができない。でもつかんでいるのは事実だった。
どうやら長い長い行列にをつくっているようだ。
 それが少しづつだが確かに上っている。誰かが強い力でひっぱり上げていることは確かだった。
彦二は、これは助けられたのだろうか、それともまた地獄のような苦しみを味わわなくてはならないのだろうか、となんとも落ち着かない期待と不安の混ざった、いらいらした気持ちであたりを観察した。自分が何で、今どこにいるのか。皆目見当がつかない。
上から伝わってきた情報でこれは水で、N区に生えている楠に吸い上げられて上り始めたらしいということがやっとわかった。
どのくらい下からこうやって来たのかはまるで覚えがなかったが、地上がもうすぐらしいということには心が踊らされた。
自分を引っ張ってくれたのは英二、そして彦二が引っ張っていた者は昭二と言った。
上って行く水の細い細い流だがその細い流れに割り込んできて、英二や彦二にしがみつく者がいた、リン・とかカリ・とかカリウムとかいうやつだ。
リンの生臭いべと~とした体にしがみつかれると吐き気を催した。それでも自分からそれを振り落とすことはできなかった。自分ではどんな行動もとれないということが本当にわかった。
彦二は、「おれは、水なんだものな、動物でも植物でもない・生きものではないんだから自由に動けないよな、考えることができるとは、思いもよらなかったけれど、それをどうすることも出来ないのだから。水じゃ死ぬこともないのか?永遠にこんなスタイルでいるのか?」と絶望した。

水の流れは根に入り少し早くなる。幹の下まで来たのか、真すぐ上にのびた管の中を今度はエレベーターのようにスルスルと葉まで流れていきました。そこで自分たちにへばりついたもの達は離れてくれる。そしてその代わりにこんどはワッフルのような甘ったるい匂いの重い物を背負わされた。そしてこんどはそれを背負って下に行くのだ。それ等はかってにしがみついて、かってに降りていく。それからまた根に、根から葉 葉から根ワッフル・べたべた・ワッフル・べたべた・という毎日が続いた。
奴らも自分と似たような境遇なのかも知れないと思うと相見互い嫌な臭いとか、気持ち悪いという気持もなくなった。
これが毎日のお勤めみたいだ。いつまで続くか想像もできないが、偶然か順番かなのかは解らなっかが、中にはどうした都合か、道からはづれる者や、葉から外に飛び出していく者も時々いた。
両隣の二人とはよく話をする。英二は愚痴と人の悪口ばかり、それも毎度同じことばかり、昭二は自分の自慢話ばかりでこれも毎日毎日同じことばかりだ。 始めおもしろく聞いていた話だったが、すぐになにが厭と言ってこの二人の話を聞くことが一番の苦痛になっていた。
隣に誰かほかの人がきてくれればいいのに、と毎日それを思う日々に変わった。
いやだ、いやだと思い気が狂いそうなんのだがが、狂いそうにもない。
気がついて見ると もう最初にいた頃の仲間たちは、たいてい葉から外に出て行ってしまったのに、自分の番はちっとも回ってこない。
ある日、二人の話を聞いていて、「この両隣の二人はひょとして自分ではないか、自分でないにしても、自分もこれと同じことをしていた、いや今だって厭だ嫌だと思っているのはそれと同じではないか?」そう思ったとたんに彦二は空中に飛び出していた。
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by takaryuu_spring | 2006-07-29 21:54

蝉  彦二1


 彦二は、今までになく不快な感覚の内に朝をむかえた。
なにか体中の血がドロドロによどみ、まるで鎧を着たように体が重いのだ。それに今迄安住の地に思われたこの湿った闇の世界が、今日は恐ろしい暗闇に思われ一刻も早く明るい日の下に出たいと思った。
「日」、彦二は、今までに一度もそれを見たことはないのだ。一生をこの暗い湿った土の中で過ごすものだとばかり思っていた。それなのに何故か今朝突然闇が恐ろしい物に思われ、いても立ってもいられない衝動にかられるのだった。
体の自由は、時々刻々きかなくなってくる、動ける間に日のめを見なければ死ぬと予感された。
彦二は、必死で地表に向かって堀進んだ。ひとかきするごとに体は、堅い鎧へと、変化しているようだった。
よ~く考へるのだ、自分を、落ち着いて、俺は一体何なのだ、・・・必死で自分の過去を思い出してみる。・・・どうも自分は今蝉で今正に羽化しようとしているのではないか?と思われた。
昔・昔・・・ず~と昔のことだけれど自分が人間だったことがあり、その子供だった頃、夏に蝉を虫篭一杯捕り、それを川につけてどのくらい生きていられるか競ってみたり、羽を一枚だけちぎってどんな飛び方をするか、とか足を全部むしってどうやて着地するか、などと実に酷いことをして遊んだことが思い出された。それでお婆さんがそんな酷いことをするもんではないと、いうのには耳もかさずに、何匹もの蝉を処刑した。
そんなことは、今はどうでもいい。それより一刻も早く地表に出ないことには、このじめじめした闇の中で死ぬなんてとても耐えられないものに思われた。
どんどん、といても進んではいないけれど堀り進むと、光が見えた、後一歩と思ったのだけれども、どうも舗装のブロックの下にでてしまったようだ。右か左かどちらに行けば、出口なのかもう、頭がパニックになって考えることもできない。闇雲にもがいているうちに、やっと表にでることができた。
ほっと、してその鎧のような殻を脱ごうとしてみて又愕然、なにかしっかりしたささえに停まっていないことには脱ぐこともできないのだ。
あたりを見回してもそんなものはない、街路樹のえんじゅの木までは、遠くて行けそうになっかた。
 昔テレビで見た5レンジャーのように右手を上げて変身と言う具合には、いかないのかと、腹立たしかった。もう破れかぶれですぐ横のコンクリートの壁にしがみついて脱皮を始めた。頭・胴・足が、出てホッと一息後は羽で終わりだ。右の羽そして、左の羽を殻から出そうとした時左手が壁からはずれてしまった。もうふんばることが出来ずに殻をつけたままバタバタもがいた。 20分もそんなことをしていただろうか、体は、すっかり固くなり黄緑色だった、体の色も薄茶色に変わっていた。そしてポロっと殻から体が外れた。
やれやれ苦労した、昔ならここで、一服というところうだな、などと思いながらあの木までとりあえず飛んであそこで一休みしよう、と考えたのは甘かった。左の羽は固まるまでの間、殻の中に入っていたためティシュを丸めたようにくしゃくしゃのままで乾いていのだ。
 ぴんとのびた右羽とくしゃくしゃの左羽で飛ぼうとしたものだからたまらない。10センチ程飛び上がった後地面に激突して後は後頭部を地面に付けたまま擦って蛇行するだけだった。何度やっても同じ結果しか得られず情け無さにジィィィと泣いた。
ジィィ… ジィィ… と鳴きながら一時間もそんなことをしていた。もう死んでしまいたいと本気で思い、車道に出れば車が轢いてくれる、と歩道から車道の方へ進んだ。車道をバタバタしているうちにこんどは側溝にはまってしまい、もうここでは車に轢かれるという夢?もついえ後は死をまつだけの身になってしまった。
ところがそうではなかったのだ、苦しみはまだまだ続いたバタバタするのに疲れて、羽を休めると首筋に激痛が走る。何だ?と思うとその激痛の箇所がどんどん増えてくる。まるで生きたまま何かに食べられているみたいに・いや本当に生きたままなにかに食べられているのだ。
体中に黒い蟻が噛み付いてその痛いことといったら気が狂いそうだった。気が狂ったほうがどれだけましかと思えたが、頭がはっきりしているからなお苦しい。・・・・・・そして死んだ。

もう一つの頁にもお越しください。http://blog.goo.ne.jp/takaryuu_april/
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by takaryuu_spring | 2006-07-29 05:03

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by takaryuu_spring | 2006-07-28 22:03

布絵展案内

金山は、・R中央線・JR東海道線・名鉄豊橋線・市営地下鉄名古屋港線と名城線、その他バスなどが乗り入れている総合駅、今では名古屋で最もアクセスの良い場所です。その総合駅の南口から出て、平行して走る、JR東海道線・名鉄豊橋線の右側沿い、東南に700メートル行った右に”ぷらな”はあります。線路を挟んで向かいに巨大な熱田イオンを望むところです。金山を出てイオンの方には行かないでください。線路があって、見えていても”ぷらな”には来ようがありません。
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迷ったら即(052‐682‐2623) にお電話を、階段が3段ありますが、スロープも準備しています。車椅子でお越しの方は連絡して下されば対応してくれます。是非見に来てください。
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by takaryuu_spring | 2006-07-28 19:01

ポルポトの涙

ポルポトの涙
カンボジアのこともポルポトのことも何も知りませんが、なんとなく解るような気がするのです。

こーこっこっこっこっこ・・・家々の台所から煙が立ち上り始めます。庭では鶏がみみずをほじくるのに懸命ですし豚はその鶏のいそがしく土をつつくのをものうそうに顎を地面に付けて眺めています。犬は台所を覗き込んで餌の催促でしょうか。
鐘の音をさせて若い僧の一団がやって来ました。家々の主婦はそれを待っていたかのように器に山盛りのご飯をかかえて飛び出してきます。そのご飯を僧の鉢に移すと僧は合掌してそれをずた袋に入れ無表情に立ち去ります。主婦もやはりこれも当たり前のようにまた家に入ました。
日本と違い小乗仏教のこの国では成人する前に男は必ず一度出家するのです。そしてここで人としての生き方・礼儀作法・読み書き・から計算まで習うのです。ですからみんなよろこんで喜捨しますし托鉢を受ける僧も懐かしい実家の近くに毎朝こうやってくるのが楽しみなのです。

人々は適当に働けば適当に米が取れ、魚が取れ、時々鶏や豚を市場に売りに行って服なんかを買い、何の不服も別にありません。多くを貯えることもなく、何が欲しいというわけでもなく 日々生きていることが楽しみでした。
これがタイ・ベトナム・カンボジア・ラオス・ビルマといったインドシナ半島の小乗仏教国でした。
西洋人がここに来るまでは決して、変りそうにもないそんな生活があったのです。
西洋人がまずここの農業を変えました、彼らは自分たちの欲しいものをここの人達に作らせ、代わりに珍しい物を持ってきました。それで生活も変わり始めました。色々欲しいと思う物も出て来ます。人々はだんだん欲張りになりお金を貯めることをし始めました。のんびり生活を満喫するより欲しい物の為にあくせく働くことが多くなりました。
そのうちに働かないことは悪いことになり、物事の価値はお金で勘定されるようになりました。
それでも二千年も続いた生活はそんなに一度に崩れるとは思えませんでした。
ところがベトナム戦争が始まりアメリカは共産圏に勝つ為に爆弾よりも沢山のげんなまを降らせ、人々は簡単にお金を手にすることができるようになり、それを使うとなんでも欲望が満たされるお金という麻薬の虜になってしまったのです。
イギリスが中国を阿片で骨抜きにしたように、否それ以上に猛毒なお金という麻薬によって東南アジアは完全に毒されてしまいました。
文明が戦争をしているのだ、文化的な生活が我々から人間的な生活を奪ったのだ。昔のままでいたら仲良く分け合って生活していたのに。
「アメリカが悪い、金が悪い、それを感染させるのが教育で、これらに感染したものはもう決して治ることはない、だから退治するより仕方ないのだ。」ポルポトはきっとそんなふうに考えたのだと思います。
少し極端な考えですが少し理解出来るところも有るような気もします。
                        隆介
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by takaryuu_spring | 2006-07-22 22:36

桜寿


櫻鮨
ガラガラと硝子戸を開けると、少し鮨屋には不似合いな神経質そうな亭主の「いらしゃいませ」という声はそれでも鮨屋らしく威勢がよかった。店の中はその顔の通り寸分の隙もなく整っていて、背筋のピンとのびるのを感じる。
ただ昼飯を食べにきただけなのにまるで茶会の席によばれたような緊張を覚え、 これは真剣だな、冗談で食べることは出来ないと直感した。
オシボリ、そしてカウンターの上に桃の柄の和紙が敷かれ、その上にお茶、醤油の小皿がこの亭主にお似合いな小柄なお内儀さんによって準備された。
「どうぞごゆっくり」と一会釈してさがって行く。
カウンターの上には真っ青な葉らんが敷かれ、注文を待つ亭主。
「マグロ」という注文に、取り出された塊の、深い赤茶色は、食べる前からその味を期待させた。
右手で飯を取り指を動かし形を整える。それを左手に移し、右の二本指で押さえ、わさびをぬってまぐろをのせ、もう一度軽くにぎる。
2貫葉らんの上に並べ「どうぞ」と一声かけ、それと同時に俎、包丁が清められ、鮨飯もにぎる前のように均(なら)され、真っ白な布巾がかけられた。
どこを見ても、注文する前と後とは少しも変わることがなく、何もしなかったという風であった。そして亭主の視線は客に向けられ、僕はその視線を痛いほどに感じていた。

右手で箸をとりそれを一度左にあずけ、右に持ちかえてからその一つをとって口に運ぶ、一回二回租借してまた箸を左右と移して箸置きに置き、ゆっくり鮨を味わう。それが箸の使い方の作法かどうか知らないが、自然にそうせざるをえなかったのだ。それらは亭主の視線を忘れて行なわれた。
満足が体全体に広がるのを覚えるのと、亭主の「ふぅ」と気の抜けるのが同時だった。食べた本人よりも満足そうな顔をした、亭主の顔がほほ笑みかけた。
店は派手ではない。そして花が実に贅沢にそれでいてどこに勝(まさる)という風でもなくおかれ、お内儀もやるなあと思った。
これがこの鮨屋に始めて来た時のことだった。


暫らくぶりにここを訪ねると、休みで大工が入っていた。
「改装ではなくて時々こうしてカウンターや、ネタケースに鉋をかけるのだ、この店の設計も自分でやり、いつも新しい状態で出来るように全部木で、それを時々こうして大工さんに入ってもらって鉋をかけてもらうのだ」と笑って言った。
俎は時々鉋をかけるものとは聞いていたが、店全部に鉋をかけるとは正直驚いた。「明日新しいカウンターになるから来てください」と声をかけられまた昼行ってみた。
「嫌いなものはありますか」と聞かれ、ないと答えると、「今日は私の好きなように出させて下さい」といって自慢の宝物を見せるように鮨をにぎってくれる。それをこちらも宝物を拝見するような心算で一噛み一噛み味わう。腹いっぱいではなく心いっぱいに満足して、心からごちそうさまと言って店を辞す。
この店で一度も多弁であったことはない。というよりいつもほとんど無口な二人であった。
それからはほとんど注文しなくても行くと、ビール、それから鮨がひとりでに出され、少し鮨を食べるのに飽きると何も言わなくてもたこぶつやお浸しなどが出された。そのタイミングは絶妙で、『思っていることを読まれている』というより思う前に行なわれると思われた。
やりいかのげその湯引きを若芽とぽんずで頂いた時、そのぽんずにも驚かされた、あえるとは和えると書くように調和させることなのだろうが、例えばこのげそあえでいえば「げそ」が主役あとは脇役というのが相場で、げその味をいかに引き出すかが問題だと思っていたが、そうではなかった。
すだちのきいたここのぽん酢は「げそ」も「わかめ」もそして「ぽん酢」も充分に主役でその存在を主張し、それでいてまたそのどれもが他を認め合っているかのように思えた。
口の中がすっかり新鮮になり、また次の鮨が欲しくなっていたから不思議だ、そしてこの料理自体、脇役なのに、食べ終わってみるといつまでも忘れることの出来ないものになっている実に不思議な感覚だった。

たいていいつも一人で来たのは、こんな食事の邪魔になるおしゃべりはしたくなかったのと、誰にも教えるのがもったいなかったのかもしれない。

九州から両親が出てきた時に一度連れて行った。
「嫌いな物は無いか」聞いただけで後は、順次出される料理にそして「鮑です」と出された時に、母が「鮑って硬いでしょう」と、大好物の鮑を前に少し悲しそうに小声で僕に聞いたのを亭主が聞き、息子さんのは硬いですがお母さんたちのはやわらかいところをにぎりましたから大丈夫です。そしてその鮑は母を充分満足させるものだった。「本当は鮑が一番好きな位なのに歯が悪くなってもう何十年も食べてなかった本当においしかったわ」と言った。すると自分のよみが当たったというふうに満足そうに亭主が笑った。

僕が仕事を変えたことや、病気になったことなどで随分永くご無沙汰していました。
それが偶然行く機会が訪れ十何年ぶりで店に入り、そのとき「好きなお客さんだった、本当に好きなお客さんでしたと」言われ、涙が出て仕方ありませんでした。そして帰りには、お内儀さんと二人で外まで見おくてくれたことは感激です。
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by takaryuu_spring | 2006-07-21 15:50

ゆすりか

ゆすり蚊
お釈迦さまは、いよいよ死ぬという時になって、心配で心配でしかたありませんでした。本当はなんにも心配ごとのなどない人間になるために、と修業したのです。そして確かに悟ったはずでした、そしてその教えというのが子供にも簡単にわかる本当にやさしいものだと、思っていましたから、もういつ死んでもいいと思っていたのですが、・・・それが・・・いつも 四六時中一緒にいた、・・・あんなに頭のいい「阿南」が理解していない・・・と気がついたからです。
これで、本当に自分がいなくなっても教えを人々に伝えていけるのだろうか、と心配で心配で死にきれなくなってしまったのです。
悟った人は、本当はそれで「おわり」なのですが、そんなわけでお釈迦さまは、もう一度生まれ変わりたいと思いました。
それも だれにも ぜったいに、わからないように。そして生まれ変わったのが 「ゆすり蚊」です。だれだって、もし生まれ変わるにしても、まさか蚊になどになっているとは想像もしませんものねえ。
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でも僕は、見たのです。あれは、ただものではない。もしお釈迦さまでなくても、きっと名のある人の生まれ変わりに違いないと、にらんでいます。
僕の見たことをお話しますからよく聞いてみてください。

まずその名前いかにも小悪党でゆすりたかりを生業にしているみたいでしょう。
それに蚊と言ったら、だれだってあのブ~ンとなく、さされるとかゆいその蚊を思い浮かべるじゃない。

つぎにその子どもの ボウフラ」の住んでいるところを見てください。
まず 魚なんか1匹もいそうにない、それにおいしそうなエサなんかも、どこにも見あたらないような、それはそれは臭くて、汚いどぶの中です。
そこで、なにをしているのかって?
ゆすり蚊の子ども達は、だれもやりたがらないそのドブの掃除をするのです。その方法も、すごい。
まずドブというのが、小さな 本当に小さな 細かいごみでできているものだから、それを食べているのです。
これは、絶対いやだよね、こんなことやれるのただものではないと思わない?
それだけじゃないんだよ、そんなごみを食べても、そこで死んでしまったらやっぱり、汚れるじゃない、それで大きくなたら、蚊になって水から出て行くんだ。ほんの少しずつだけど、ドブはきれいになっていく。
ただ ドブ掃除するだけ ?と思ったら大間違い。親の、蚊になった方もすごいんだ。普通、蚊といったら血を吸う悪いやつじゃない。名前からいってもとくに悪そうなんだけど、ところがゆすり蚊は違うんだ。
ゆすり蚊の食道はふさがっていて、なにものどを通らないのだ。ただトンボ や、くもや、こもりのエサになるんだ。それも食べられ易いように・・・♭ラ・ラ・♯ラ・♭ラ・ラ・♯ラ・・・と羽で音を出しそれを音叉でキャチして集まり、大集団になて飛ぶんだ。ヒゲが音叉の役割さ。
君達もたぶん見たことあると思うけど、蚊柱というのがゆすり蚊のことだ。「ドブそうじにエサ]。これだけのために生まれるなんてただものじゃないと、思わない?
隆介
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by takaryuu_spring | 2006-07-19 22:13

神鳴様

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梅雨も追い込みでしょうか?随分一生懸命雨を降らせてくれます。狂言に神鳴様(雷)というのがあるそうで、藪で有名な迷医藪医竹庵さんが往診を終えて帰宅する途中、突然神鳴様が落ちてきて尻餅をついた。「いてててて・・」腰を打ってぎっくり腰になって動けなくなってしまった。そこにちょうど来たのが竹庵先生、「これお前様は医者のようだがわしを診てくれ」竹庵さん「いえいえ私は医者だが、人間の医者、神鳴様など診たことありませんからと断る、「人間も神鳴もたいして違いないだろう、なんとか診てくれよ」「今日は薬のもち合わせがないからなど一生懸命断る竹庵になんとか頼み込んで治療をしてもらうことになった。薬の持ち合わせがないので、針を打つことにした。「ブス」いてててて・・・れれ足が動くぞ、でもあまりの痛さに神鳴り様は逃げ出しそう、医者はまだ片方しかやってないからそれでは歩けないだろうという。神鳴様は、痛いのはごめんだと泣き声、でも治してもらわなくては帰れない。覚悟を決めて治してもらうと、サンキューと帰ろうとする。竹庵さん人間では迷医でも、神鳴様あいてなら名医なのかもしれません。「神鳴様治してあげたのだから治療代を払ってください」となかなかしっかりしている。いくら欲しいのだ?といわれ、病人が出ても不作続きで誰も治療代を払ってくれん。なんとか良い塩梅に雨を降らしてもらえないか?と談判。よし来年の天気は任せてくれ、来年などケチったことを言わずに万年だ!。それは欲張り、竹庵さん金をくれとは言わないで、みんなが金を払うことができるようにしてくれと頼んだところ今の人とは違います。800年にまけとけ。OKということで話がついたとか、きっと800年の期限がきていて、それで天候が変なのかもしれません。
雨のおかげで、昨日は久しぶりに革細工をやりました。スイベルカッターで革に傷をつけ、モデラーで押さえ、隙間に刻印を手のひらで押して模様をつけました。猫のキーホルダーと、コスモスの筆入れです。今日はその2点に色を塗り、後は裏を貼り、かがれば出来上がりです。
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by takaryuu_spring | 2006-07-18 20:16

あじさい

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そしてわんわん泣きました、涙がこぼれないように空を見上げると、涙のたまった目に、空はあやめよりもっと、もっときれいな青い色の空でした。そしてこんどは、あの空みたいに僕が真っ青だったらどんなにきれいだろうか、そうなればどんなに幸せだろう、と思いました。それからは、毎日空を見上げて「青くなりたい青くなりたい」と思っていました。
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あじさいは、ひさしぶりに降った雨を見ていいことを思いつきました。
「そうだ!雨にたのんでみよう」「空の色をすこしずつとかしてきてもらって、僕にかけてもらうんだ。そうすれきっと、白い僕なら青く染まるにちがいない」

本当にうまくいくと思いますか。
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そこであじさいは、雨にたのんでみました。
「あめあめ雨さん、おねがいがあるの、ぼくを青くそめて」と言いました。 すると、いつも泣いて空にむかっておねがいごとをしていたのを見ていた雨は、「おいおいあじさい君。できることならそうしてあげたいよ、だけど私は染め物屋じゃないから、君を染める染め粉などもっていないよ」と言いました
そこであじさいは、「空は真っ青じゃない、空にたのんであの青い色をすこし雨さんにとかしてもらって、それを僕にかけてくれれば、きっとうまくいくと思うのだけどどう?」と言いました。
するとこんどは雨が「それはいい考えかもしれないな、それじゃできるかどうかわからないけど、一度、ものはためしだやってみるか・・・」と引き受けてくれました。
それからというもの雨は、あじさいが青く染まるまで、空の色をとかしながら降りつずけました。そして、一月もすると、みちがえるよな、きれいな青に染まりました。
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by takaryuu_spring | 2006-07-18 16:45