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熊の危機

全国には14万頭の月の輪熊がいるそうです。今年は山の木の実がとても少なく、たくさんの熊が里に餌を求めて下りてきたそうで、4000頭の熊が処分されたのだそうです。
昔は、人間の住む里と自然の間の干渉帯として里山が存在し、人間が炭や薪をとることにより木の実がなりやすい環境ができ、動物たちも里まで下りる必要がなかったのだそうです。今人は里山を必要しなくなりまたそして、自然の奥まで道路を作ってしまいました。自然と人間の干渉帯の絶滅により、今までの自然は急激に変わる状態にあるのだそうです。
エゾ鹿や日本カモシカの被害もよく報道されますが、昔狼という天敵がいたのに絶滅したからだそうで、これは西洋から入った犬の病気ジフテンバーが免疫のない狼に蔓延して滅んだようです。松くい虫は戦後製紙用に米軍がカナダから持ち込んだ松材から日本中に広がったといいます。
里山の他にも、日本人は精神的にも自然との境に鎮守の杜というタブーの地もつくっていました。アイヌでは手出し禁止の地をカムイというそうで、日本語の鎮守のカミと同じだと思います。
西洋文化は曖昧を嫌います。日本の優れたところは曖昧さにあるのだと僕は思います。はっきりしない態度には相手に対すいるやさしさもは入っています。1か0では判断できないファジーで生きてきたのが日本人です。今「生死も存在か無か」という風にみて、「死んだらおしまいよ、何にもなしさ」といういうことになっているのですが、「何もないところから突然この世に転がり出て消える。お風呂でおならをした時の泡と同じさ」それなら泡という形状が変化しただけ、おならは湯船ではじけてちゃんと臭いを発するのです。
生と死に境はなく、何千何万何兆・・・・いう命のつながりの中の一瞬の現象が「私」なのだというのが、今までの日本的存在観だったと思います。
日本古来の自然を恐れ、自然の恵みを受けるという考えが、今「自然を管理してやらなくては自然が壊れる」という西洋的考えの方が正しい思い込むようになっているようです。
by takaryuu_spring | 2006-12-11 08:14


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