はじめにことばあり

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言語障害には構音障害と失語症があるのですが、話せないことでは同じようなのですが、まるで違う症状です。脳卒中で左脳を損傷すると失語症になる人も多くいます。構音障害ならキーボードがあれば言いたいことが伝えられるのですが、失語症の場合は音声は発する事ができるのに、理解し伝えたいと思っても、まるで外国人になったように言葉が見つからない状態です。
左マヒのぼくはよく、「あんたよかったね、右手は使えるし言葉も喋れて」といわれます。実際ありがたいことだと思っています。失語症が訳のわからない左脳損傷の高次脳機能障害であるように、右脳損傷では左空間無視という障害があります。これはすべての物の左側の存在を存在と認識しない障害で左マヒの人の4割くらいがなるそうなのですが、軽いと障害を感じないうちに回復しています。僕は左マヒで、でもそういう障害があるということを知るまで、僕にその障害があったことに気付けませんでした。まさに障害までも無視していました。
手紙の宛名を書くとき、封筒の真ん中に真直ぐ書くのですが、書き終わって見ると左に傾きます。どれだけ注意深く書いても、封筒の置く角度を変えてもそうなってしまうので、いつも定規で線を引いてから宛名を書いていました。そういう障害があると知って納得です。宛名は漢字の羅列で1字書いてその真下、真下に漢字を書いていきます。その真下というのは漢字の中央の下ということで、そこで字の左を無視してしまいどんどん右に書いていったということでした。障害をもって9年去年賀状を書いたときまで残っていたそんな症状もどうやらなおりました。
「はじめにことばあり」とは聖書の出だしのようですが。はじめにことばありの「ことば」とは何でしょう?失語症の人は認識できても表現できません。空間無視ではあっても存在と認めません。そんな事に関係なく物は存在している訳で、はじめにあった「ことば」とは「存在」ではないかと思います。つまり「最初からあった」アダムのリンゴを食べたときそれを意識し表現できるようになったということだと思います。
「ことば」が「存在」と同義であるなら、言葉はあってもなくてもいいものです。知的障害者がとても見事な色彩感覚で物を表現するのをみて、感心する人がいます。そしてどうしてああいう風に見えるのだろ、私には描けないとよくいいます。それは彼らより「ことば」を理解できないからに違いないのです。イメージできる事が人間であり、イメージに入ることを悟りというのだ思います。
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by takaryuu_spring | 2006-11-21 06:36


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