鹿児島

最初の頃載せたのですが、間違えて消していまったので再登場です。

 鹿児島の田植は遅い。20センチ以上に成長した苗を植えるのだ。
 名古屋で育った僕に、彼は田植を手伝ってくれないかと誘ってくれた。都会育ちの僕が行ったところで何の役にも立たないことは、分り切っているのにまだ友達のいない僕を見て誘ってくれ、図々しくもその誘いに乗ったのだった。
彼の家はたばこで有名な国分にある。門司から福岡・久留米・熊本・鹿児島と走っているのが鹿児島本線、門司・大分・宮崎・鹿児島と通っているのが日豊線なのだが、国分はその日豊線の側にある。
 鹿児島駅を出て10分もするとすぐ桜島を浮べる錦江湾に出、そのまま錦江湾沿いに国分まで桜島が列車の共をしてくれるのだ。
 桜島も富士山のように円錐形の山なのだが、こちらは正円ではなく楕円錐で、汽車が進に連れ島の形も刻々変る。桜島を浮べる錦江湾自体も丸くカルデラ湖なのだそうで、外輪山にあたる大隅半島、薩摩半島、霧島連峰それと桜島などから想定すると元の山は10000メートル級の世界一の高山だったそうで、錦江湾は現在カルデラ湖としては世界一ということだ。
 シラスと呼ばれる落雁のような火山灰で出来ているここら辺の山々は、雨で垂直に溶かされ西部劇に出てくる岩山ような形をしている。汽車の旅は短かったが彼の説明もあっておもしろかった。
 赤塚君の家は駅から歩いて20分ばかりの田園地帯にあった。何年か前の台風で壊れ、それで家族だけで建てたという家で、6畳二間にトイレ・風呂・台所のブロックを積んだだけの造だった。
 彼の家に着いてその辺りをぶらぶら散歩したり、今度田植をするという田圃を見に行ったりして、夕方帰るとすき焼の用意がされていて、すぐ食卓に呼ばれた。
 僕と赤塚君・そのお父さん、お兄さんの四人が鍋を囲んで座りビールが抜かれ食事が始った。他に家族としてお母さん、妹、お兄さんのお嫁さんが居たが彼女たちは鍋に肉や野菜を入れたり味をみたり酌をしたりするばかりで、箸をつける様子はない。一緒に食べないのかと聞くと、自分たちは後で食べるから心配しないで、ゆっくり食べてくれと言うのだ。
 部屋が狭いし火の都合もあるから「まあいいか」と食べる。出された物を残すのが嫌いな僕は腹がはち切れそうになるまで食べ「ご馳走さんでした」と席を彼女たちに代った。当然新しい食材が用意されていると思っていた。ところが、もう何も残っていないそのすき焼鍋には何も追加されることなく、ご飯と生卵それに煮すぎてよれよれになった葱だけが彼女たちの晩御飯だったのだ。
鹿児島ではまだ男尊女卑の習慣が強く残っていたのだ。それを知らなかったとはいえ実に悪いことをしたと思い、その夜赤塚君に謝ったが彼は「良い、良い」というだけで笑っていた。この鹿児島にまだ残っていた男尊女卑も、知らない者にそう見えるだけの表面的なもので、決して本心女性蔑視というようなものではなく、どちらかといえば女性の方が発言力も強く威張っているのではと、何年か鹿児島に住んでいるうちには思えた。
 その日の僕はお客さんとして扱われていたようで、風呂も一番に入るようにすすめられ、断ることは出来そうになかった。それも五右衛門風呂で、ふたを取るともう一枚ふたのような物が浮んでいて、その上乗って入るのだが、まだ薪のくべられている風呂は釜が鉄だから手足背中どこでも触れれば熱い、思いっきり膝を両手で抱いて入ったが何とも窮屈で入った気もしなかった。
翌日水が張られた田圃に、屑屋からもらってきたというポンコツの耕耘機がけたたましい音をさせて耕す。するとすぐツバメがたくさん集ってきて水面すれすれに飛交い始める。土が堀り返されると虫たちが出てきて、それをツバメが待ちかまえているのだという。見ているとなるほど何匹ものオケラがポコポコ出てきて水の上を走る。
オケラというのは4センチくらいのラッコみたいな形をした虫で、土の中を自由に通れるよう、モグラみたいなシャベルの手を持った愛嬌のある虫だ。名古屋でも舗装道路の少なかったころの夏の夜、部屋に飛込んで来て子供たちの人気を集めたものだ。
実際の農家の仕事を見るのは始めてだったので何を見てもおもしろい。これで明日は田植が出来るのだ。
 ここ国分は全国一のたばこの産地で、田圃でないところはたばこ畑が広がる。たばこは下ほど葉が大きいのだが、安いたばこ用になるのだそうで、大きさをそろえて乾燥させ出荷する。専売公社で乾燥したその葉に砂糖水を噴霧して筵をかけて発酵させ、それを刻んで紙に巻いてたばこができあがるのだという。たばこの甘い香りは砂糖の焦げる匂いなのだ。
 翌日は僕にとって始めての田植だ。目盛の綱が張られ、それにそって植えていくのだが、想像していた苗とは大違いのたくましい雑草のような苗を、指先を根本に合わせ一気に差込み指を抜く…すると「プク」、残念ながらちゃんと立ってくれずに浮んでしまう。それで失敗したのを直す為に歩き回ると、田圃に穴がボコボコあきよけい植えにくくなってしまう。
屈んだままの姿勢も耐え難く辛いもので、それでもみんなに遅れてはいけませんし、もう必死でした。30分もやるうち少しは要領も解り、周りを見る余裕も出てきます。田圃を見ると蛭がヒラヒラ泳いで来て隣の赤塚君の足にすいつきました。「蛭、蛭足についたよ」と言い、ついでに自分の足も見ますと飛上がりそうにびっくり、上げた足には簾のように蛭がぶら下がっていたのだ。
 蚊や蜂なら許せるが、虻や蛭のように針を使わなで血を吸って行く奴はどうにも気持悪くて許せない。その蛭がいっぱい自分の足にくっついているのだ。思わずひっぱったがひっぱっても取れない。当惑している僕に、何喰わぬ顔で田圃の土にくるんで、揉んで土と一緒に掴み取るのだと教えてくれる。こんなのほんの蚊に刺されたのとたいして違いないという感覚なのだろう。
 二日目の昼には田植も終ってしまった。「今日は鶏を潰すけど見るかと」彼が言います。殺生の現場を見ることはあまり気が進まなかったが「うん」というとお父さんが鶏を指定してくれた。「この鶏は最近卵の産みが悪い、これにしてくれ」実に簡単に死刑執行の判決が言渡されます。
ケージの扉を開け、鶏を抱えて持ってきます。こんな大きな動物を殺す所を見るのは初めてで、どきどきして見ていますと、彼は鶏を逆さに抱き頸動脈を包丁で斬ります。「クゥッ」一声鳴いただけでした。ツゥーと血が下に置いたバケツに流れ落ちます。鶏はというとなんと目を半眼に開け恍惚としています。そして最後にブルブルと首を痙攣させただけでした。
「ね苦しみなんてしないだろう」と言いながらバケツにたまった血を豚の餌箱に流します。すると血に飢えた?子豚が飛んできて鼻を真っ赤にして食べます。
 彼の家は5反に満たない田圃・100羽ばかりの鶏それと10匹の豚を飼っていました。豚は今年生れたばかりの子豚が7匹、おや豚が3匹でしたがその中の一匹は品評会一位という牛のような巨体の豚で、あまり重くなりすぎて立上がれなくなってしまったということでした。
 子豚はわんぱくでとても可愛いものです。目の高さの柵があれば大抵逃出さないものなのだそうですが、一匹が飛出してからみんなまねをして集団で脱走する、脱走して近所の畑や庭を荒し回る。よじ登る事を覚えてしまったから多少柵を高くしたくらいではクリアするのだとか、豚も頭良い。
 生れてすぐに虚勢するのだそうですが、ハサミで玉をチョキンと切取りそれをおや豚の餌箱に放り投げる、すると即パクッと食べてしまうのだそうだ。
 鶏は安い卵より鶏糞の方が利益になるとかで、いつも広げて干してあるのですが、脱走した子豚はこの鶏糞も食べてしまってそれも困ると嘆きます。そしてついでに奄美大島の田舎の話しをしてくれました。
 それは「大島の田舎には便所があっても大抵外で用を足す、庭でしゃがんで大もする。うんこが出かかると臭いをかぎつけ、豚がかけ寄ってきて地面に着く前に食べてしまう、そしてうんこをしている間中お尻ぺろぺろなめるから、ちり紙で拭う必要もない。最初はうんこも引込んでしまたけど、馴れるとこれが快感なんだよな」というものでした。そんな馬鹿な、と最初思いましたが2・3日彼らと生活をしてみると嘘ではないかもと思えてきます。
この家の人は誰も歯を磨きません。歯ブラシなど一本もないのです。でも虫歯の人もいません。
 彼の家は広い田圃がありませんから、食べていくため小規模ですが養豚・養鶏もやっていたのですが、たくさん飼う土地がありませんから、豚や鶏を屋敷内で飼っていて、それで蠅の数も半端ではありませんでした。
行った翌日、田植に一区切りつけ、お昼ご飯に家に帰ります。みんなしばらく腰を下ろしていましたが、何故か全員申し合わせたように席を立って、たばこを吸いながらの立話にかわりました。そして同時に戸が閉められてしまったのです。何事がはじまるのかと見ていると、やおら今では見ることもありませんが、手で押す噴霧器を持出しシュ・シュ・シュと部屋に撒き、彼も出てきました。僕は「うん」部屋を閉めた方が効率いいからななどと感心します。5分ばかりして戸を開けますと、びっくり仰天畳は蠅の死骸で真っ黒、それを箒で掃出してから、やおらご馳走が運びこまれます。
退治してもすぐ隣に蠅の本隊が駐屯しているのですから、すぐまた飛交い、今運んできたご馳走にたかります。ところが今度は蠅が来てもみんな無視です。蠅のたかったおかずを見てとまどっている僕を見て、お父さんが「うちは蠅もたからんようなまずいものなど出さんからな、はっはっはっ」などと冗談を言います。箸で摘んだものに蠅がたかっていても、そのまま口に運びますから僕が「蠅が」、と言いかけますと「蠅も死にたくないから、口の中まで入りはしない」などと言いかまわず食べ続けます。
そりゃそうだけどなんとも恐れ入った感覚です。それで誰も体を壊したりなどしないのですから、一般的衛生観念なんど迷信だなと悟り、それ以来僕もこの無神経主義の信奉者になったのですが、そうするとそれまで年1・2回風邪を引いて寝込んだり、お腹も弱かったのですが、いつの間にか体が丈夫になってしまい、体質も変ってしまいました。ただそれでいい気になって食べ過ぎ、飲過ぎ、遊び過ぎの人生を送り、結果脳梗塞になってしまいましたが。
なぜ思い出したようにこんな文を書いたのかといいますと。
最近SARSの恐怖に世界は恐れおののいています。その他にも杉花粉症、アトピー、エイズなど現代人は昔なかった病気に悩まされています。薬ではあまりよくならず、治す手段は人間の免疫力にかかっているのでしょうか。またSARSなど人間のではなく自然界の免疫力低下のせいではないかと思うのです。
最近の中国の近代化はすざましいものの様で、緑の森や農地は整地され工場が建ち、川や空中にはものすごい量の汚染物質を排出していることは明かです。
生物連鎖の中には目には見えませんが、ばい菌だって他の生物の為に大いに働いて、空気や水を浄化しています。虫やばい菌や植物が地球の環境を保全してくれているのではないでしょうか。確かに昔に比べ清潔で、豊で、便利な世の中になりました、でもそれは人間にとってのことです。自然の中の人間であることをわきまえて、生活を自制することも必要なことだと思います。
昔肥料といえば下肥でした。今以上にいたゴキブリを気にする人もいませんでした。ねずみの被害は今以上だたでのでしょうが、お話に出てくるねずみはいたずら者ですが、可愛い愛嬌者で、必ず恩返しをしてくれます。害獣、害虫を根絶やしにしてしまおうなどとは誰も考えませんでした。
最近はなんでも殺虫・消毒・除菌です。それって本当は何も住めない世界のことでしょう。もう一度そんなことを考えて欲しいと思い昔の楽しかった思い出を書きました。
[PR]
by takaryuu_spring | 2006-08-26 22:11


<< うさぎ お兄さんになったたっちゃん >>