生れ・成長し・老い・そして死ぬ。生命に限らず国や文明でも今まで必ずそうでした。今までで一番長く続いた文明は縄文文化かも知れません、よくは知りませんが一万年位続いていたのでしょう。それに最近では徳川政権です。その共通点は成長する事を願わず、足を知ると言うところにあったと思います。
能の面は寸法・目・鼻・口の位置・形全て決められていて、その決められた中で、心を込めて面を打つのだそうで、自分の独創と言うことが認められていません。また茶道に使う茶碗には飲みやすいとかきれいであるとかいう普通器に課せられる常識はあえて無視され、客・季節・時・お茶・花・部屋・・・など全ての存在の要としてあります。 日本の物作りの原点はより便利にということでなく、より忠実に心を写すことが出来るか、周りとの調和はどうかと言うようなこことに腐心してきたのではないでしょうか。当然それでは西洋的な考えに馬鹿にされるでしょうが、もう一度そんな日本人の心の底に眠っている心を思い出して欲しいものだと思います。 SARSのような新型ウイルスが今まで無かったとは思われません。自然の森や川の流れがそれらを退治してくれていたりしたのではないですか?三峡ダムを造る為に膨大な森林を伐採し水の流れを止めているのでしょう、黄海に流れ込んでいた膨大な砂は流れ込まなくなり、何万年も続いてきた環境はがらりと変ります。何万・何十万という無名の動植物の種が絶滅することは確かです。 日本では戦後の杉の植林の結果、それらの木の成長に連れて花粉症がひどくなっていったと言われています。花粉症の人たちが、すがすがしいはずの春の空気を鬱陶しいマスクをつけて花粉を漉して吸わなければならなくなり、春を愛でることも出来ません。花粉症の治療法を考えるより森を元に戻す努力をした方が良いのではないでしょうか。SARSウィルスを一時しのぎの殺菌で退治しようとしてもきっと無理なのではないでしょうか。 日本には清貧と言う言葉があり、それが最も贅沢な状態だという考え方がありました。どうしたら必要以上に物が溢れない国にもう一度なるのでしょうか、もっともっと貧乏になって修理して物を使う世界になった方がいいのに、物を自分で作ったり直すことはとても楽しいことで。僕たちの子供の頃そんな職業も盛んでした。 学校帰りに自転車やさんの手先をじっと見ていたり、木創りのおもちゃを作る作業所から切抜かれた外側をもらってきておもちゃを作ったり、印刷工場に行ってすり減った活字をもらってよろこんだり、ガラスビンを膨らませるとき職人のほっぺたのぽんぽんにふくらむのをみんなで見に行ったり、そんなことがおもしろかったものです。今子供たちの得る事の出来る感動や喜びの何とも貧弱な気がしてなりません。 共産主義と資本主義があってどちらもある意味で正義でした。共産主義の中にも人間の欲が大きく入り込み、欲こそが正義だなのだということになったのでしょうか。自分の思っている正義を押しつけることは、自分から見たら最高の善かも知れませんが、それが独裁者の考えなのではありませんか。イラク戦争は中東を自分の考え通にするための戦争なのではないですか。それでもアメリカが本当に正しければいいのですが、京都議定書を無視続けるアメリカが善だなどとても思えません。 江戸時代田沼意次の金まみれの政権は批判され、今でも悪く言われます。日本人の血の中にはお金を善悪の尺度にすることに否定的な血が確かに流れているはずです。日本はアメリカの腰巾着ではなくブレーキかジャイロにならなくてはならないと思います。
by takaryuu_spring
| 2006-08-07 21:55
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