和顔

仏教では、布施をすることが大事だといいますが、僕には、名も財も知力も体力も、なにも持ち合わせていません。

「無財の七施」
1.眼施(げんせ/がんせ)
優しい温かいまなざしで人に接する。
2.和顔施(わげんせ/わがんせ)
優しいほほ笑みをもって人に接する。
3.言辞施(ごんじせ)
優しい言葉をかける。
4.身施(しんせ)
肉体を使って人のため社会のために働く。
5.心施(しんせ)
心から共に喜び共に悲しみ、感謝する。
6.床座施(しょうざせ)
自分の座席や地位を譲る。
7.房舎施(ぼうしゃせ)
雨露をしのぐ場所などを分け与える。

なにもなくても雑宝蔵経には、「無財の七施」のというのがあるから安心しろといいますが、僕にはなにもないばかりではなく、欲張りで、嫉妬深く、疑い深く、自分勝手で、その上なまかわで、でも善悪を言い、全ての幸せを望んでいるようなことが頭の中にはあるのです。

何も持ち合わせのない僕にできそうなことは、眼施と和顔、それと言辞施でしょうか?

でも僕の心のとおりに目が物をいったら大変。恥ずかしくていきていけません。
なにしろ人の幸せを願っていることより、失敗を見つけて笑ったり、かわいそうに思ったりするだけなのですから。
※ かわいそうに思うことって、考えてみると本当は残酷な仕打ちだと思うのです。

口からでる言葉は、お世辞や皮肉やただのおしゃべりばかり、なかなか本心から思いやりのある優しい言葉など出てはきません。

・・・でも嘘でも和顔はできるかも。

よくあることですが、通勤途中僕を追い抜く人に杖をけられます。すると、ぐらっとして思わず怒りが顔に出てしまいます。

考えてみれば、僕の杖など混雑した中では見えないし、普通の人から見れば、ぐずぐず歩いている僕の方が悪い。相手のことを思えば謝るのは僕の方かもしれないのです。そう考えれば和顔になります。

人が普通で、僕がちがうのなら、たいていのことが、「どうも失礼。」ということになります。

悪気もなく「失礼。」と思うとき、少なくとも怒った顔ではありません。

先日地下鉄の駅で、ポケットから乗車券を出そうとしたき携帯も一緒に飛び出して床に落ちてしまいました。

一部始終を見ていたご婦人が、僕がかがんで拾うのを見て「ごめんなさい。」と言われ、僕はびっくり。

たぶん「拾ってあげなくてごめんなさいね。」ということだったと思うのですが、ときどきそんな人に会うことがあります。
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by takaryuu_spring | 2010-05-19 21:33


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